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アメリカ例外主義を後押ししたライプニッツとヴォルテールの考え方が私たちに教えてくれること-アメリカ合衆国について⑧-

人間の在り方に関するすべてのよい評価を、意地悪く、面白おかしく、皮肉を込めて批判をしたジョナサン・スウィフトが著した『ガリバー旅行記』が政治学のテキストになりつつあることを、なんだか嬉しく思う。

ジョナサン・スウィフトが『ガリバー旅行記』を著したのは、トマス・モアの『ユートピア』からは、200年後、シェークスピアの『テンペスト』からは、100年後、ライプニッツの

「すべての可能世界の中で最善の世界」という主張からは、15年後、デフォーの楽天的な小説『ロビンソン・クルーソー』から70年後であり、アメリカ独立宣言の50年前であった。

ガリバーの旅はバミューダに向かうことから始まる。

物語の中心となるのは、多過ぎるくらいのユートピア的な夢と、ディストピア的な悪夢である。

ガリバーから連想するに難くないgullibleは騙されやすい、すぐ真に受けるという意味だが、やはりガリバーは名前からうかがえるとおり騙されやすく、しかし、物腰の柔らかい純真な人物で、人々に温かい関心を寄せていた。

しかし、彼の旅は嫌悪に終わるのだが、ユートピア思想家とディストピア思想家を考えてみたい。

今回は、ライプニッツとヴォルテールについて少し考えてみたいと思う。

ライプニッツは、17世紀の最も賢明な人物の面と、ユートピア思想を持ちすぎた者としての面が在り、彼の哲学は、アメリカ例外主義を後押しすることになった。

良かった面は、ライプニッツが博識であり、微分積分法を発見し、200年後にようやっと役に立てられることになる数学や論理学の諸概念を提唱したことである。

また現代のデジタル計算において用いられている二進法を研究し、量産型の機械計算機を初めて制作した。

しかし、このように最高の頭脳の持ち主であるライプニッツは、私たちが、

「すべての可能性の中で最善の世界」に住んでいると考えていたようである。

残念なことだが、ライプニッツのある意味、現実に対する無知は、彼の気まぐれな楽観主義と、宗教的概念、倫理学の信頼、世間知らずの素朴さが相まって生まれたように思う。

「神はまったく善であり、全能である」

というのが、ライプニッツの出発点だったようでもある。

したがって、地球上の、全ての物事は、まさに神が望む通りのカタチになっており、表向きは酷く見えていても、あらゆる出来事は、神の定めが何らかのカタチで達成したに違いない、となる。

さらに、展延すれば、例えば、アメリカ先住民が病気で命を落としたり、戦争で征服されたりするのは、神が望んだことであるはずだ、となり、裕福な人がいる一方で飢えに苦しむ人がいたとしても、それは、神の意志に拠るものだし、ヘタに手を加えてはならない、不幸な目に遭った人々は、きっと罪を犯したのだから、罰を受けるに値する、主人となる人がいる一方で、奴隷になるひとがいても、そのままでよい、

あらゆる出来事は、いくら不快なものであっても、神の定めのなかでそれに相応しい根拠があるに違いない、と、なる。

このようなライプニッツの楽観主義ほど、アメリカ例外主義を正当化するものはないであろう。

さもなくば、私たちは、アメリカ大統領選挙を心配する必要などなくなっていたのではないだろうか.......。

最善のこの世界で、神が救済に来るからであり、不平等を正したり、医療保障を提供したり等々する必要がないのは、神の意志だから、ということになるような政権は、アメリカ国民でなくとも、見たくはないと思う。

さて、冒頭の『ガリバー旅行記』に戻るのだが、ガリバーは、元々、物腰の柔らかな、純真な人物であり、人々に温かい関心を寄せていた。

しかし、彼の旅が人間に対する嫌悪で終わる。

ガリバーは、あまりに、人間嫌いになったため、人間を視ることも、声を聴くことも、匂いを嗅ぐことにも、堪えられなくなるのである。

ガリバーは、見知らぬ奇異な場所を旅することで、人間の愚かさ、度量の狭さ、大げさな称賛、狡さ、ワガママ、無関心、邪悪さ、を目にした。
人生を楽観的に始めるほど、人生に対する失望は大きくなる。

また、希望が、あまりに現実離れした楽観的なものであればあるほど、苦い経験によって、ますます悲観主義に落ち込んでゆくものなのかもしれない。

とても面白いディストピア思想家として、ヴォルテールも挙げられるだろう。

彼は、ライプニッツのユートピア的理想を皮肉を込めて粉砕することに、この上ない喜びを感じていたのかもしれない。

ヴォルテールは、小説『カンディードまたは楽天主義』で、次々と恐ろしい体験、例えば、戦争、病気、飢饉、火事、洪水、地震、裏切り、欺瞞、偽善......に繰り返し苦しんでいるのに、純真なパンタグロス博士は世間知らずの教え子カンディードに
「すべての可能世界の中で最善のこの世界においては、すべてが最善である」
としつこく言って聞かせるのである。

現実主義者であれば、そうした世界は、全ての可能世界のなかで、最悪な世界だと結論づけるのであろうが、パンタグロス博士の一途な楽観バイアスは弱まることがないのである。

ヴォルテールが、私たちに、教えているのは、現実の経験からわざと目を逸らすだけで、この世界が既に、完璧とは程遠いどころか、常にもっと悪くなる可能性があるという事実が、覆い隠されてしまう、ということであろう。

ここまで、読んで下さりありがとうございます。

アメリカ合衆国についてシリーズでした😊

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