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バルコニーを「見せる」まで-三島由紀夫という作家について⑩-

夏目漱石の『こころ』のなかに

「聞いて下さい、私はこのようにして生きてきたのです……」

ということばが在るのだが、私は、ずっと、
「聞いてください、わかってください、私はこのようにして生きてきたのです」
だと思い込んでいたことに最近になって、気付いた。

この『こころ』のことばは、しばしば「事件」のときの「演説する三島由紀夫」を、私に想い起こさせる。

最後の演説は、ハンドマイクを使わずに行われた。

果たして、三島由紀夫は、演説を「聞いて」ほしかったのだろうか、さらに言えば、「わかって」ほしかったのだろうか。

確かに、「見て」は、ほしかったのであろう。

バルコニーに仁王立ちし、演説する三島の映像を映し出したテレビ映像は日本全国に流され、自衛隊市ヶ谷駐屯地の上空には、警察のヘリコプターに混じり、報道関係のヘリコプターがけたたましい音をたてて飛び交っていた。

三島は、この日の自分の姿が、自衛隊という特殊な空間のなかで、秘密保持の名のもとに、黙殺され闇に葬られることを極端に恐れていたため、自分の姿を確りと人々に「見られる」ように用意周到に計画し、準備していたようである。

三島由紀夫は、「事件」の日の朝とその前日、NHKの司法担当記者である伊達宗克と毎日新聞社の徳岡孝夫のふたりを「事件当日の11時に市ヶ谷会館に呼び出すため」に電話を入れていた。

三島が、ジャーナリストのふたりを選んで念入りに電話したのは、三島たち「楯の会」の行動が、事実そのままに報道されず、闇に葬られる可能性があったからであり、三島たちの行動の真相を一般の日本人に正確に伝えてほしいという願いをふたりの若いジャーナリストに託したかったからだろう。

事件当日の11時、
「時間を厳守せよとの命令でしたので」ということばとともに、ふたりのジャーナリストは、田中健一から封筒を受け取った。

中には、手紙と写真と檄文のビラが入っており、あわててふたりが読み出した三島からの手紙には、こう書かれていた。

「前略
いきなり用件のみ申し上げます。
御多用中をかえりみずお出でいただいたのは、決して自己宣伝のためではありません。
事柄が自衛隊内部で起こるため、もみ消しをされ、小生の真意が伝わらぬのを恐れてであります。
しかも寸前まで、いかなる邪魔が入るか、成否不明でありますので、もし邪魔が入って、小生が何事もなく帰ってきた場合、小生の意図のみ報道機関に伝わったら、大変なことになりますので、特に私的なお願いとして、御好意に甘えたわけであります。
小生の意図は同封の檄に尽くされております。
この檄は同時に演説要旨ですが、それがいかなる方法に於いて行われるかは、まだこの時点に於いて申し上げることはできません。
何らかの変化が起こるまで、このまま、市ヶ谷会場ロビーで御待機くださることが最も安全であります。
決して自衛隊内部へはお問い合わせなどなさらぬようにお願いいたします。(中略)
同封の檄および同志の写真は、警察の没収をおそれて差し上げるものですから、何卒うまく秘匿された上で、自由に御発表下さい。
檄は何卒、何卒、ノーカットで御発表いただきたく存じます。
事件の経過は予定ではに時間であります。
しかし、いかなる蹉跌が起こるかもしれず、予断を許しません。
傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも、小生らとしては、純粋に憂国の情に出でたるものであることをご理解いただきたく思います」
このあとも続くのだが、三島らしい、折り目正しい手紙である。

しかし、
「傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも」
というところに徳岡孝夫の目は釘付けになったそうである。

何か大変なことが起きていることは明かなのに、それが何であり、どのような事態なのか、ふたりとも見当がつかなかったたようである。

三島由紀夫は 、自分の行動が、一部のマスコミや知識人、政治家たちからは、おそらく「狂気の沙汰」とか「狂っている」というような論評がなされるだろうことを正確に予測し、計算し、それに対する予防線を張り巡らせていた。

三島由紀夫は、ごく僅かな人たちを除いては、「わかって」ほしいとまでは、期待していなかったように、私には、思われる。

私たちは、理解できないものに直面したとき、理解できないと認める代わりに、「狂っている」とか「おかしい」と言うことによって安心する習癖を多かれ少なかれもっており、さらに、自分の立場を正当化するために、相手を狂人扱いをしながら否定しさえするのかもしれない。

手紙と檄文を読んだふたりのジャーナリストは、簡単なあいさつをし、名刺交換をし、そして、市ヶ谷会館の屋上へと駆け上がった。

3階建ての市ヶ谷駐屯地の屋上からは、自衛隊市ヶ谷駐屯地がよく見え、まだ大事件が起こっている様子はないものの、猛スピードで走るパトカーとジープ、そして、慌ただしい閲兵グラウンドの人の動きが見えた。

ふたりは腕章をつけると正門をフリーパスで駆け抜け、自衛官に
「何があったのですか」と質問したが、「命令があったから来た」という様子で、自衛官たちも事情は全く知らない様子だった。

しかし、やがてバルコニーから、
垂れ幕が降り、その垂れ幕に吊されていた文鎮から、三島の用意周到な計画が見て取れた。

日本刀を持った三島由紀夫と森田必勝がバルコニーに現れたころには、新聞社の車が次々に到着し、フラッシュが激しくたかれ、上空を取材のヘリコプターが飛び交っていた。

このように、三島は、「見せる」ことには、成功したのであるが、テレビを見ていた人たちが、ハンドマイクを忘れたのかしら……と思うようななかで、三島が演説するのを見ると、ハンドマイクを使っても事態は変わらなかったであろうことに、用意周到な三島は気付いていたのではないだろうか。

私には、三島由紀夫は、
「静聴しろ、静聴、静聴せい!静かにせい」といっても激しい野次と罵声を浴びせられ、肉声さえ聞いてもらえない三島由紀夫自身の姿と、
「聞けーッ!聞けーッ!」
と叫んでも演説を聴こうとしない人たちの姿を「見せる」ことを目指しただけで、「聞いて」もらえることや、ましてや「わかって」もらえることなど、期待していなかったのかもしれない、と思われるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。










 

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