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文学のなかの芸術、芸術のなかの文学⑥―ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」―

アメデオ・モディリアーニが残した人物肖像は、顔と首が異様に長いプロポーションで、目には瞳を描き込まないことが多いなど、いちど見たら忘れられないような表現をとっていることが多く、また、モディリアーニ絵画の代表作は、大部分が1916年から1919年の間に集中して制作されている。

その理由を知る手がかりとなることばのなかに、モディリアーニと親しかった詩人のイリヤ・エレンブルグの、
「(第一次世界大戦が勃発した)1914年という1年間に、どれだけの年月が圧縮されていたか、そして永久不変に思われた人間の価値概念がそこで変化したとすればモディリアーニがどうしてモデルの顔の変化に気づかずにいられたであろうか」
というものがある。

モディリアーニの残した人物肖像とは、ある時代をともに生きる人間であればこそ描き得たものであり、エレンブルグのことばでいうならば「愛し、悩み、苦しんだ人間の肖像」であり、世代が共有する記憶をも映し出し、後年にわたって繋ぎ止める役割をも果たし、20世紀初頭という混沌とした時代に肖像画家として生きたことの意味をも物語るのだろう。

しかし、なぜ私たちは、人間の価値観を永久不変だ、などと思うのだろう。

私も、大きな病になったあいだに「はじめて」、自分の内の世界も、外の世界も不変ではなく、がらりと変わったことに驚き、今日と明日は同じではないことを身を以て知り、「ふつう」に生きたいと切に願い、アタリマエの日常に感謝したように思う。

そのようなときに、私が「永久不変に思われた人間の価値概念」について考えさせられた本のひとつに、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』があるのだが、ダニエル・キイスは、彼の創造した人物であるチャーリイ・ゴードンの瞳を通してさまざまなことを教えてくれるように思われるのである。

『アルジャーノンに花束を』は、知的障がいを持つ主人公チャーリイ・ゴードンが、「かしこく」なって、周りの友達と同じになりたいと願い、知能指数を高める手術を受け、そのことに付随する彼自身や周囲におけることがらを、チャーリイ自身の視点による一人称で、主に「経過報告」として綴ったものである。

確かに、『アルジャーノンに花束を』の序盤は幼い子どもが書いたように誤綴りが多かったり、文法的にも破綻が散見されたりしながら、ごく簡単な言葉や単純な視点でのみ、彼の周囲の事柄が描かれているのだが、主人公の知能の上昇に伴い、文章のスタイルは高度で複雑なものへと変わっていき、思考の対象もより抽象的で複雑な内面の描写へと変化していくようである。

『アルジャーノンに花束を』のなかでは、チャーリーの手術は成功したとされ、チャーリイの知能指数は68から徐々に上昇し、数か月で「天才」(と呼ばれる)ようなIQ185の知能を持ち主となり、チャーリイは大学で学生に混じって勉強することを許され、知識を得る喜びや難しい問題を考える楽しみを満たしていくのだが、「かしこく」なるにつれ、これまで友達だと信じていた仕事仲間に騙されていたことや蔑まれいじめれていたこと、自分の知能の低さが理由で母親に捨てられたことなど、知りたくもない事実を理解するようになってしまう。

また、高い知能に反してチャーリイの感情は幼いままであり、突然に急成長を果たした知能とのバランスが取れず、妥協を知らないまま正義感を振り回し、自尊心が高まり、知らず知らずチャーリーが嫌いであったはずの他人を見下す人間になってしまい、周囲の人間が離れていく中で、チャーリイは手術前には抱いたことも無い孤独感を抱き、忘れていた記憶の未整理な奔流によりチャーリイは苦悩の日々へと追い込まれてしまう。

そのような世界を書いたダニエル・キイスは、読者の手紙に対する返事のなかで、
「この小説にでてくるあの光景、皿を落として割ってしまった知的障がいのある給仕を食堂の客たちが嘲笑ったとき、チャーリイが激昂したあの場面を思い出していただければ、私があのような残酷で無情なひとびとについて、どう感じているかおわかりいただけると思います。
知能というものは、テストの点数だけではありません。
他人に対して思いやりを持つ能力がなければ、そんな知能など空しいものです。
人間のこの特性を欠いているひとびとは、残忍な嘲笑と空威張りの仮面のかげに隠れるものです」
と書いている。

また、ダニエル・キイスは、
「『アルジャーノンに花束を』は虚構の物語であるのに、どのようにして、手術を受ける前のチャーリーのような思考力を通して見たこの世界を感覚的に把握できたのか」
という問いに対して、
「フロベールが『ボヴァリー夫人』を書いたときに、どのようにして、ボヴァリー夫人のような婦人の目を通したあれほど確かな描写ができたのかと訊かれたときの彼の答えと同じである。
彼の答えはこうだった。
『私はボヴァリー夫人です』
それはまた私の答えでもある。
わたしはチャーリイ・ゴードンです。
彼を創造し、彼に命を吹きこむために、私は、自分の考え、怖れ、記憶、そして私なりの世界感などを彼にあたえた。
彼の知能の低い時期には、自分の幼いころの記憶をよみがえらせた。
その他のものはすべて私の想像力が生み出した」
と答えている。

冒頭で述べたように、モディリアーニの目を通すと、顔と首が異様に長いプロポーションに描かれてしまうため、写真機はそれほど手軽でない時代であることも手伝い、実際とかけ離れた肖像画を描かれたことに憤慨した人たちに破棄されてしまった肖像画もあるようであるが、残された肖像画から、私たちは、モデルの有名無名や性別、出自を問わず、モディリアーニが人間を等しい眼で捉えていたことを知ることができるだろう。

モディリアーニの眼差しは、ユダヤ人としてイタリアに生まれ育ち、フランスで生きる上で帰属する確かな背景を持たない立ち位置を身を以て知るモディリアーニが、モディリアーニの瞳から見た肖像画の人物を創造し、彼/彼女に命を吹きこむために、モディリアーニは、モディリアーニ自身の考え、怖れ、記憶、そしてモディリアーニの世界感などを彼/彼女に与えたのかもしれない。

モディリアーニの作品は、再びエレンブルグのことばを借りるならば、
「人間への愛と、人間ゆえの不安」が息づいており、彼が交わった人々にみずからのかたちを与えながら、それにより、モディリアーニ自身にもまた生の手応えを与えるものだったのかもしれない。

モディリアーニが世を去ってからも、ふたつの世界大戦や恐慌に見舞われた20世紀の人物像は、モディリアーニが描いたように細く、か弱く、痩せたものとなっていったようである。

ルネサンス時代には均整のとれた筋肉質の身体が理想とされ、バロックやロココ時代には豊満な身体が美しいとされ、少し前の時代の印象派の画家たちはふくよかで肉感的な女性を描いたが、モディリアーニの描いたすらりとした身体は、さまざまな種類の貧しさや、存在の薄さと隣り合わせの20世紀の人間像を先取りしており、この人間像は、20世紀最大の彫刻家といわれるジャコメッティが戦後発表したような極端に細長い人体彫刻へも続いているのかもしれない。

「見る」ひとであったモディリアーニの絵のなかに瞳がないことは、人物の個性や感情を超えた、人間の根幹にある魂をも感じさせているようであるのだが、いま、瞳を持つ私たちが、世界を見るとき、チャーリイが発見した暴力と精神崩壊の原因について考えることは多いだろう。

『アルジャーノンに花束を』のなかでチャーリイは、
「愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこすものである。
つまりですねえ、自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということ」
と述べ、ひとびとを引き裂いてしまう楔から芽生えてくる、言語の、肉体の、虐待や暴力行為の問題のいくばくかを癒してくれる重要な洞察を、私たちに与えてくれているのではないだろうか。

モディリアーニの作品も、キイスの生み出したチャーリイも、自分はもちろん、自分の周囲、さらには異なる国々のさまざまな種族の、宗教の、異なる知能レベルの、あらゆる老若男女の立場に自分を置いてみることを教えてくれるだろう。

それを私たちが、自分自身に教えることからはじめることは、罪悪感、恥じる心、憎しみ、暴力などを減らし、私たちにとって、より住みよい社会を築く一助になるのかもしれない。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

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