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文学のなかの芸術、芸術のなかの文学⑪ー三島由紀夫『天人五衰』②―

フィリップ・グラスは、ポール・シュレーダー監督から、

「私の考える三島を描きたい。
三島への共感など必要ない。
ひとつの孤独な魂が、孤独という苦しみからの解放を国家に求めて、そこに絶望して死んでゆく魂を描きたい」
と言われ、小説作品のBGMには、絢爛豪華なオーケストラを使い、三島の現実生活、すなわち、名声が高まれば高まるほど、高まる空虚感を表すため、簡素な弦楽四重奏を用いた。

その弦楽四重奏部分をクロノス・カルテットの委嘱によりまとめたものが弦楽四重奏曲第3
「MISHIMA」である。

音楽はひたすら内省的で、三島が死に惹かれてゆく様子を静かに美しく、悲劇的に描き出す。

グラスは、
「世俗的成功の絶頂に、そうではないと現実を否定する精神、そのようなひとりの人間の美しい生き方そのものを描きたいと思った」と語っている。

幼年の三島に狂気の老婆が与えた死の刻印を表した第3楽章「祖母と公威」や、切腹するのに相応しい腹筋を鍛える様子に付された第4楽章「ボディビル」はひたすら惨たるものがあり、終楽章は三島の魂を慰撫するようにひたすら美しくもある。

三島は、このように外国人が自らの死を熱心に、芸術的解釈しようとすることに複雑な、しかし喜ぶ気持ちもあるのかもしれない。

少なくとも、アメリカ人の三島解釈には、私が「同じ日本人だ」というだけでする解釈よりも侮りがたいものがあることは、事実であろう。

確かに、三島由紀夫の自決は、日本のみならず、世界にも衝撃を与えただろう。

富士山のように大きな山は、麓からはその威容は計り知れないため、少し距離をおいて眺める必要がある。

富士山の麓には深い樹海が在り、そこに入れば必ず迷う。

三島は自らの死をあのように演出することで、日本人の喉元に解きがたい難題と謎を突きつけたかのように見える。

しかし、外国から見た三島という富士山は、簡明な、規矩正しい稜線を持った姿に見えるようなのである。

それは、戦後日本という絶対的価値喪失のなかで生きざるを得ず、仏教的虚無感に至るまで絶望した魂の姿のようである。

そして、三島自身結局自分の思いは外国人にしか解らないと考えていた節もある。

もっとも心奥の秘密を語った相手のひとりはドナルド・キーン氏であったし、不在の死に堪えなければならない苦痛を描いた小説『真夏の死』では、主人公の女性はアメリカ人と対話することで、はじめて、素直に自らの思いを語るのである。

三島の自決から15年後の1985年、フランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスのプロデュースのもと、ポール・シュレーダーを監督として、映画『MISHIMA』が制作された。

三島自身が自決の直前、東武において自らの人生を回顧する展覧会を開いた折、「書物の河」、「舞台の河」、「肉体の河」、「行動の河」と、人生の局面を4つに分けたことに倣って、『金閣寺』、『鏡子の家』、『奔馬』、『太陽と鉄』の4作品を劇中劇として取り上げながら、三島の心象風景を炙り出してゆくものであるが、この映画の音楽作曲に選ばれたのが、新進気鋭の現代作曲家フィリップ・グラスであった。

グラスは、ミニマリズムという作曲技法を代表する現代作曲家のひとりである。

ミニマリズムとは徹底的に音楽を根源まで遡り、リズムと和音という最小単位まで分解しようという先鋭的な運動であった。

どれほど先鋭であったかというと、グラスのデビュー作であるオペラ『渚のアインシュタイン』では、ひたすら、

「one,two,three,four......」という無意味な歌詞が分散和音で歌われ、しかもそれが延々4時間も繰り返されるのである。

......。

聴衆はひたすら繰り返しの苦痛に耐えねばならないであろう。

しかし、この「繰り返し」を特徴とするミニマリズムという技法は、同時に、有為転変し、同じ過ち、同じ苦しみを繰り返す人間の世界に対する透徹した仏教的感覚を表現するのに最も適していたのかもしれないと、私には、思われるのである。

世界を震撼させたであろう三島由紀夫の自決だが、三島由紀夫は、森田必勝とは異なり、事件の直前まで、明らかに具体的な死に対する逡巡があり、その逡巡の心理を切断するために、そして死を受け入れるために、あらためて仏教の「輪廻転生」思想や唯心論哲学で理論武装しなければならなかったようである。

中村彰彦は、そのような三島と違い、
「森田必勝はあたかも『壁抜けの秘術』を使用したかのごとく、論理を超えて三島と最終行動のみをともにしたと見える」と分析しており、また、三島由紀夫も、自分のことよりも、まず
「森田必勝の精神を恢弘せよ」
と古賀正義らへの命令書に記していたようである。

三島由紀夫には、痛いほど森田必勝の精神の偉大さがよくわかっていたのではないだろうか。

そして、三島由紀夫は、「森田必勝にはなれない自分」を理解したからこそあらためて仏教の「輪廻転生」思想や唯心哲学で理論武装し、「森田必勝になれない三島由紀夫」を冷静に分析にしていたのかもしれない。

『豊饒の海』の第4巻である『天人五衰』のなかの、「自己正当化のための自殺」を安永透と家庭教師の古沢が語るシーンに、森田必勝の精神の偉大さを理解し、「森田必勝になれない三島由紀夫」の逡巡もまたよく表れているように、私には思われる。

家庭教師の古沢は、自殺する人間の衰えや弱さがきらいだとしたうえで、ひとつだけ許せる種類の自殺、自己正当化の自殺というものがあると語る、それは、どんな自殺か訊ねる透に、古沢は、語り始める。

「じゃ、話そう。……
たとえば、自分を猫だと信じた鼠の話だ。
なぜだかしらないが、その鼠は、自分の本質をよく点検してみて、自分は猫に違いないと確信するようになったんだ。
そこで同類の鼠を見る目も違って来、あらゆる鼠は自分の餌にすぎないのだが、ただ猫であることを見破られないために、自分は鼠を喰わずにいるだけだと信じた(中略)信念の問題なんだ。
その鼠は自分が鼠の形をしているということを、猫という観念が被った仮装にすぎないと考えた。
鼠は思想を信じ、肉体を信じなかった。
そのほうが侮蔑のたのしみが大きかったからさ。
(中略)
ところがある日のこと、その鼠が本物の猫に出会してしまったんだ。
『お前を喰べるよ』
と猫が言った。
『いや、私を喰べることはできない』
と鼠が答えた。
『なぜ私を喰おうとする』
『お前は鼠だからだ』
『いや、私は猫だ。猫は鼠を喰うことはできない』
『いや、お前は鼠だ』
『私は猫だ』
『そんならそれを証明してみろ』
鼠は、かたわらに白い洗剤の泡を湧き立たせている洗濯物の盥のなかへ、いきなり身を投げて自殺を遂げた。
猫は一寸前脚を浸して舐めてみたが、洗剤の味は最低だったから、泛んだ鼠の死骸はそのままにして立ち去った。
猫の立ち去った理由はわかっている。
要するに、喰えたものじゃなかったからだ。
この鼠の自殺が、僕のいう自己正当化の自殺だよ。
しかし、自殺によって別段、自分を猫に猫と認識させることに成功したわけじゃなかったし、自殺するときの鼠にも、それくらいのことはわかっていたにちがいない。
が、鼠は勇敢で自尊心に満ちていた。(中略)
『鼠でなかった』以上、『猫だった』と証明することはずっと容易になる。
なぜなら鼠の形をしているものがもし鼠ではなかったとなったら、もう他の何者でもありうるからだ。
こうしてこの鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。……どう思う?」

中村彰彦は、「三島事件」で主導的な役割を演じたのは、実は森田必勝であったのではないかと問題提起をしているが、私もその可能性は少なくないように思う。

三島由紀夫は、森田必勝という三島とは違ったかたちの孤独な魂と出会うことによって、はじめて具体的な死を決意したようにも思う。

森田必勝に出会(でくわ)すまでの三島の
「早く死にたいという……」ことばは、いわばあの鼠が猫に出会す前の、観念的なおしゃべりにすぎなかったのかもしれない。

さて、『天人五衰』のなかの古沢は、
「ところで鼠の死は世界を震撼させたろうか?」
と問い、
「そのために鼠に対する世間の認識は少しでも革まったろうか?
」と問う。しかし、古沢は自ら答えを出すかのように話し始めるのだが、三島由紀夫が、森田必勝と出会うことによって、死は単なることばの遊びではなく、現実のものとなったのだろう。

世界を震撼させたであろう三島由紀夫の自決、三島事件のなかには、やはり森田必勝という存在が在るのだろう。

次回以降、森田必勝という人間について、考えたいと思っており、今回は、三島由紀夫を三島由紀夫として捉えたフィリップ・グラスの弦楽四重奏第3番「MISHIMA」の残響のなかで終わりたいと思う。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。



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