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社会のなかの芸術、芸術のなかの社会⑦ーソウル・アリンスキー『過激派のルール』とマーティン・ルーサ・キングの行動からみるものー(トランプ氏大統領就任から29日)

1950年代にはじめてレオ・シュトラウスが「ヒトラー論証」と、議論でアドルフ・ヒトラーを引き合いに出す現象を揶揄したが、議論でヒトラーを引き合いに出す現象は、それからも安っぽい常套手段かつ禁じ手だという非難がありながらも続き、インターネットの時代になって新たに「ゴドウィンの法則」と名付けられたようである。

それは、
「オンライン上の議論が、そのテーマや対象範囲にかかわらず長引くにつれて、ヒトラーやナチスが引き合いに出される確率は1に近づいてゆく」というものなのだが、この警句のような法則を作ったマイク・ゴドウィンのヒトラー論証に対する異議は、前回のトランプ大統領就任前後から控えめになったようである。

現代における一部の人々の状況が1930年代のドイツとかなり似ていることから、ゴドウィンに「インターネット上ではどんな振る舞いが受け入れられるのか、アドバイスしてほしい」という依頼が殺到したようなのだが、それに対するゴドウィンの回答はゴドウィンの法則の縛りを解き放つかのような

「ドナルド・トランプの件に関しては例外だ。
つまり、それについて十分に考え、歴史にか関わる認識を本当に示せるのならば、トランプについて語るときに、ヒトラーやナチスに言及してもかまわない」
というものであったようだ。

それから約8年が経ち、トランプは再び大統領に就任した。

このことは再び私たちが世界の現実に触れ、社会の病や集団の妄想を癒すのに必要な再びのショック療法なのかもしれない。

しかし、私たちは不正は分別に、失敗は合理的行動にとって代わられてきた歴史を知っている。

例えば、内戦は起きてしまったが過酷な奴隷労働は黒人投票権に、貧富の差が極端だった1890年代の金ぴか時代は次の世紀に移るまでに労働環境の改善と非道な商習慣の規制が進む進歩主義の時代に、1929年の株式市場の暴落はニューディール政策と繁栄を、そしてアメリカ南部で1世紀にわたって続いていた人種隔離政策の時代は、10年余りの抗議運動ののち、画期的な公民権法への道を開いただろう。

今回はソウル・アリンスキーとマーティン・ルーサ・キングの草の根運動を見てみることで、今、アメリカで、世界で起きている事を考えてみたいと思う。

ソウル・アリンスキーは、
「マキャベリの『君主論』はいかに権力を保つかについて、「持てる者」に向けて描かれている。だが、『過激派のルール』はいかに「持てる者」の権力を奪うかについて、「持たざる者」に向けて書かれている」と言った。

ソウル・アリンスキーは人の力で金の力と戦いたいと願っていた。

言い換えれば、アリンスキーは、力のないものが、力を持つ者の略奪から身を守れるようにするという正義を願っていた。

マーティン・ルーサー・キングによる非暴力のポピュリズムが道徳性を最重要視することを基本としていたのに対し、アリンスキーの手法は実践的かつ戦術的であり効果的であることに重きを置いていた。

1971年、アリンスキーは亡くなる直前に、『過激派のルール』と題した書籍を出版したのだが、この書籍は、コミュニティを組織する者に向けた10章から成る手引書であり、また、アリンスキーの30年にわたるボトムアップで少しずつ世界を変える方法、つまり、アリンスキーの30年にわたるコミュニティの組織作りの方法の詳細を凝縮したものであろう。

アリンスキーの『過激派のルール』は、マキャベリの説に似た雰囲気もあるが、そのアドバイスは、君主ではなく、一般市民のためになるように描かれた。

彼の『過激派のルール』に書かれたアドバイスは要約すると

1.あなたは実際に持っている力だけではなく、敵が想定するだけの力を持っている。

2.人々の力は金の力と戦えるはずであるし、そのようなものである。

3.自らの得意分野で敵とは戦え、敵の得意分野にて敵を戦わせてはならない。

4.的を射た嘲笑は敵を萎縮・矮小化することも出来る。

5.楽しんで実行できる戦術は、皆が従いうまくいく可能性が高い戦術である。

6.定石だが、敵には圧力をかけ「続け」ろ。

7.敵もまた防御の方法を考え、戦略を変えてくるので、敵の一歩先を行かねばならない。

8.敵の暴力は、(非道であればあるほど、ますます多くの)あなたの友人を作るものである。

9.ターゲットは厳選し、孤立させてから戦いを挑め。

10.人は組織よりも、速く倒れるものである

となるのではないだろうか。

味方にとって頼りになる武器は、敵が手にしても有力になることをアリンスキーは知っており、アリンスキーの非凡さは、人々に「自分の運命は自分で決める」ように後押ししたことにこそ在るのではないか、と、私は思う。

そのはじめの一歩を踏み出せるような、必要な前提条件について、アリンスキーは明確かつ説得力のあるアドバイスをした。

「戦術がいくら独創的であっても、また戦略がどれほど抜け目のないものであっても、人々の信頼と尊敬を勝ち取らなければ、戦いを始める前に負けが決まってしまう。
それらを勝ち取る唯一の方法は、あなた自身が、人々を信頼し尊敬することである」と。

また、人柄や戦略の点でかけ離れては見えるものの同じく個人的・政治的危機に立ち向かったマーティン・ルーサ・キングは、
「平和を愛する者は、戦争を愛する者と同じくらい効果的な組織作りを学ばなければならない。」と述べている。
キングの品格、忍耐、自己犠牲は、独善的な政治家たちの偏狭で独善的な態度、衝動性、自己アピールに終始する姿、に対する声なき批判となっている。

確かに、キングの思想や信条は、アリンスキーに比べて理想に過ぎて、現実的でないように思える。

例えば、

「愛は敵を友人に変えることのできる唯一の力である。
憎しみに対し憎しみにで応じていては、決して敵を一掃することはできない」などの、それはそうだが、やはり理想ではないか、現実離れしている、と思われる発言などもある。

しかし、キングはその懸念を、実践的なノウハウや心理面の理解、組織化のスキルを理想主義と組み合わせることにより払拭し、彼の運動は効果を発揮したようである。

彼の基本的な手法はガンジーの影響も感じるような非暴力の大規模な民衆デモであり、その様子は全米のテレビ画面に映し出され、結果的にかなり多くの人々の眼の前で展開されることとなり、それは、アメリカに潜む人種意識を刺激したのだろう。

なぜなら、行進の様子は、眼の前で繰り広げられる受難劇のように感じられたであろうからである。

また、キングが、当初から自らが道徳的に正しいことを主張し、その主張を決して捨てることはなかったことも受難劇の要素となる一因だったのかもしれない。

キングは、自らの利益だけを図ったり追求したりする人々や階層の人々にとっては、危険な存在であった。

キングの存在は、それまで、彼の不在の時代には一致しなかった人々の信条を、本来の意味でのポピュリズムというひとつ思想のもとに取りまとめることが出来るものだったためである。

キングのポピュリズムには、対決姿勢がなく、それでいて効力を失わなかった。

キング自身
「右の頬を打たれても左の頬を差し出したのは、」
それが彼の本能的行動であっただけではなく、
「効果的な戦略であったからだ」と述べている。

さらに数の力と共同する取り組み方においても相当な力を発揮していたキングは、メンフィスで清掃労働者のストライキ支援に参加しようとしたところを銃撃された。

キングの暗殺は歴史の転換点のひとつだと私は思う。

言い過ぎかもしれないが、彼の登場は、1世紀に1度しかない大きな現象だったのではないだろうか。

しかし、私たちは、キングの思想や理念、そして戦略をも想起することによって、彼の手法に学び、自分を省みたり、今の世界の在り方を鑑みることができるのではないだろうか。

「E Pluribus Unum」≒「多数から成るひとつ」がアメリカ合衆国の国章の中でよく私たちの目に触れるようになったり、1776年7月4日にアメリカのモットーとなるずっと前まで「E Pluribus Unum」の源流へと遡上を続けていると、

ローマの哲学者のキケロが

「E Pluribus Unum」を

「おのおのが自分を愛するように他者を愛するなら、多くの人々はひとつになる」と表していることに辿り着く。

アリンスキーとキングというふたりの草の根運動の指導者は、「おのおのが自分を愛するように他者を愛するなら、多くの人々はひとつになる」ということを人々のものを見る目、聞く耳、そして感じる心に訴えかけたのかもしれない。

人柄や戦略の点で、アリンスキーとキングほど異なって見えるリーダーは珍しい。

アリンスキーは、強引で人をいら立たせるような対決姿勢を採ったが、キングは、何でも受け受け容れる包容力を見せた。

しかし、姿勢は異なって見えても、ふたりとも不利な状況でも勝利を収め、真実によって権力を打ち破るユニークな才能に恵まれており、ふたりとも自分の民衆運動に幅広く人々を迎え入れようとした。

キングは黒人の公民権を要求する運動家として活動を始めたが、最終的にはあらゆる人々の人権を求める運動家として活躍し、アリンスキーは、白人のコミュニティから活動を始めたが、人生のかなりの部分を黒人のコミュニティでの運動に費やした。

ふたりとも、自己アピールやポーズで、などという薄っぺらい意味ではなく弱者を守り、最前線で汗を流し、個人的・政治的危機に恐れることなく立ち向かうなかで、状況を多角的に捉え、短期的な戦術と長期的戦略のどちらを考えることも等しく得意であった。

しかし、ふたりはモーセのように遠くから約束の地を眺めることはできたが、その場所に辿り着くことはできなかった。

そう、ふたりは多くの小さな闘争には勝利したが、まだ大きな戦いで勝利はしていなかったのだ。

キングは雄弁な人格者で、広い心を持ち名声を得ていたが、暗殺によって、未来への時間が奪われてしまったし、アリンスキーも、彼が及ぼした影響は、生存中もその後も大きかったが、限られた状況と狭い領域にとどめられ、しかも彼の手法は、彼自身が最も嫌っていた有力者たちに、最も活用された。

しかし、ふたりどちらの考え方にも、私たちは学ぶことが出来るだろうし、ふたりの相違点と共通点を捉え直そうと試みると、少しずつだが、見えてくるものがあるだろう。

アリンスキーは、自分たちの類似点と敵との相違点を強調したが、キングは、敵との共通点を見つけようとした。

アリンスキーは、敵を倒すことを目指していたが、キングは敵との協力することを目指していた。

アリンスキーはコミュニティの意識をひとつにするためには、悪者をうまく用いたようと考えたが、キングはその悪者たちを友人にしようと考えた。

ただ、私たちは、「ふたりとも、広く周知された非暴力のデモを展開し、デモに対する暴力的な過剰反応を利用した」という事実を認識しなければならないだろう。

つまり、アリンスキーの「取り組み」は、コミュニティに力を与えるために、暴力は用いなかったものの、きわめて対決的な姿勢を採っていて、多くの点においてキングの「取り組み」とは、正反対に「見える」ということであり、私には、今でもふたりが、
「本質や目指すべきものは同じでも異なる手段を採るから違うように見えるものもあれば、逆に似ているが、本質は以て非なるものがある」
と思想や生き方を通じてこの時代、この世界の私たちに警鐘を鳴らしてくれているように思えてならない。

前回、アメリカ例外主義の起源について見てみたとき、リンカーンが人間とアメリカが抱える哀しい欠点を認識しながらも、ひとたび各州が結束すれば、アメリカは戦争の傷を癒し、高い道徳水準を取り戻し、人々を救いに導くと考えていたことについて見てきたが、
過去は消して死なず、過ぎ去ってもおらず、奴隷を許したレイシズムは決して滅びることはなく、その様相が微妙に変わっただけであり、その結果は、今日もはびこるレイシズムにはっきりと見てとれてしまう現実がある。

約170年前、黒人は文書の上では自由とされたが、まず、厳しい人種隔離政策であるジム・クロウ制度によって、暴力にさらされ、投獄され続け、現在も、また、さまざまな部分で人種的・経済的な不公平をもたらす仕組みのなかで生きることを強いられているようである。

アメリカで最も偉大な作家のひとりであるマーク・トウェインが書いた、アメリカ小説の中の最高傑作のひとつである『ハックルベリー・フィンの冒険』は、「black lives matter(黒人の命は大切である)」として、白人の偽善を打ち砕いたが、アメリカ初の映画大作『國民の創生』は、KKK(クー・クラックス・クラン)の価値を高め、ある意味トランプはそのような熱狂的な支持を集めて大統領選に勝利したとも言えるかも知れない。

「すべての人間は生まれながらにして平等」、だが、「奴隷を除く」という但し書きがついているという、独立宣言の偽善に取って変わったのは、黒人の生活に対する日常的な偽善であったのである。

アメリカは、南北戦争から変わったはずなのだが、トランプの「再」選出により、南部連合軍が、このたびの戦いに再び勝ったかのようにすら思えてさえくるようだ。

マーク・トウェインは、宗教に名を借りた
「明白な運命」や

「文明化の使命」という宗教的偽善に隠されたアメリカの帝国主義を嫌っていた。

彼が嫌っていたのは、すべての人間は生まれながらにして平等ではあるが、アメリカ人は他者を征服する特権を神から与えられている、あるいは、そうした役割を自ら任じている、という考えであり、そのような考えから、アメリカ人は西部への移動を阻むネイティブ・アメリカンを殺害し、メキシコ人を倒して広大な土地を得、アメリカが作り上げたスペインとの戦争で植民地を獲得してきたのである。

ジャクソンから、ポーク、セオドア・ルーズベルト、ブッシュに至る大統領たちは、進んでアメリカの力を行使し、アメリカの願望を限界まで追求してしまったのかもしれない。

マーク・トウェインは、セオドア・ルーズベルトのことを
「南北戦争以来アメリカに降りかかった最も恐ろしい災難」と評し、
「神はアメリカ人が地理を学べるように戦争を生み出した」
とまでに痛烈な冗談を飛ばしたようである。

多くのアメリカ人が、ベトナム戦争、アフガニスタン、イラク......と終わりの見えない戦争をアメリカがしていることを疑問に思うのと同様に、トウェインはアメリカがフィリピンで戦争をしている理由など理解できなかったのだろう。

アメリカ例外主義は、アメリカが関わったあらゆる戦争を、アメリカ人に対して、 正当化するための手段に使われるようになってきている部分は否定できないものがあるだろう。

アメリカだけでなく、どの国も例外主義のなかで生きているのかもしれない。

私たちは、物事とをあるがままに見ず、見たいように見ている。

それは世界共通の人間の性のようである。

また、私たちは、あるがままに物事を見ない代わりに、商業的感心というレンズを通して、さらに私たち自身の貪欲さを理想主義の薄い膜で覆い隠しながら物事を見ていると、私には思われるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

※見出し画像は、チャップリンの『独裁者』からです……描きながらこの見出し画像にしたい気分&チャップリンをゆっくり観たい気分になっていました😌

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