リムスキー=コルサコフ歌劇の『金鶏』にみる風刺から-音楽から眺めてみる世界から⑤-
「これからおとぎ話が始まる。
これは、架空の話ではあるのだが、良い教訓が秘められている。」
リムスキー=コルサコフは、1905年に起きた「血の日曜日事件」に対する怒りを、歌劇『金鶏』で表した。
現代日本にも通ずるような辛辣な政治風刺を、コルサコフは、円熟の筆致で、まるで魔法のように、流麗緻密な音楽劇に仕立て上げてたのである。
かつては威風を誇ったドドン王も老年で孤独、さらには怠惰な日々を過ごすだけの王となっていた。
それを知る近隣諸国の侵攻に悩むも、東に守りを固めれば、西から攻められ、南を守れば、北から攻めてくる。
2人の無能な息子(グヴィドン王子とアフロン王子)とやたら反対ばかりする大臣(ポルカン大臣)とは意見が合わず、どうして良いかわからないドドン王は、逃げるように飽食と惰眠に耽る。
まさに、国家存亡の危機とは、このことである。
そんな時、星占い師が、ドドン王に金の鶏を献上する。
その鶏は、危機を察知すると、その方角に向かって
「キリキ、キリクク」(→日本語?では「コケコッコー」)
と鳴く。
金鶏さえ在れば、さあもう安全、ドドン王は、大喜びする。
ただし、喜びのあまり、星占い師に
「望みは何でも叶える」と約束してしまい、
その時、星占い師は、
「権力も富も地位も余計な敵を作るものなので辞退します。私の大切なものは愛です」
と答えるのである。
金鶏は、
「キリキ、キリクク!寝転んで治めよ!!」
と鳴き、満足したドドン王は、また昼寝に耽る。
すると、金鶏は歌い出すのだ「キリク、キリクク、寝転んで治めよ」と。
......。
ところが、ある時、金鶏が
「用心しろ!警戒しろ!!」
と、危機を知らせる。
ドドン王は、精鋭部隊をと2人の王子を差し向けるが、全滅してしまう。(グヴィドン、アフロン両王子は刺し違えて死んでしまっていた)
どうしたのだ、何が起こったのだ。
金鶏は、「用心しろ、警戒しろ!!」と甲高く鳴き続ける。
精鋭部隊が滅んでしまった、残っているのは老人部隊だけではないか......ポルカン大臣にせき立てられながらではあるが、老兵とともに老骨に鞭打って、ドドン王は、国家の危機に対処しようと、危機が起きている方向に出兵する。
そこで出会うのが、謎めいて妖艶なシェマハの女王である。
あろうことか、ドドン王は、シェマハの女王に一目惚れし、求婚し、自分の王国を明け渡すことを約束してしまう......。
コルサコフは、ロシア帝政末期の作曲家で、色彩豊かな管弦楽法を開発し、その美は、彼の最も有名な作品である交響詩「シェラザード」で多くの人に知られている。
また、コルサコフは
「ロシア人とは何か」
を突き詰めて考えた愛国者であり、ロマノフ王朝がおかしなことになってゆく中で、ロシア人の原点を示すように、歌劇『見えざる町キーテジの物語』を書いた。
キーテジの物語は、昔話で、ロシア人なら誰でも知っているような物語なのだが、そこには、ロシア人の誇りと、ロシア正教が教える、神の恩寵が下ったロシアという神話的情熱が切実に歌われているのである。
しかし、現実はそれほど美しくは進まなかった。
時はロシア革命前夜である。
「政府はおかしい、青年たちの社会主義運動にこそ正義があるのではないか」
という意見を公にしたために、コルサコフは王立音楽院を追放されたのである。
皮肉なことだが、表現の自由が制限された時、表現力は爆発的に拡大されることがあるのかもしれない。比喩、暗喩、寓話という形で、コルサコフの批判精神は爆発し、人生最後にして最高の傑作オペラを書き上げる。
それが、『金鶏』である。
ドドン王は、シェマハの女王(と、シェマハ傘下の得体の知れないものたちを)伴って、凱旋帰国をするのだが、結婚式を挙げようとすると、あの星占い師が登場し、
「私が金鶏を王様に献上した際、私の望みは何でも叶えるとおっしゃいましたね。私は、シェマハの女王をお嫁に貰いたいと思います」
と横槍を入れる。
怒ったドドン王は、王杖で星占い師の頭を打ち、星占い師は死んでしまう。
すると、突然雷鳴がとどろき、ドドン王は祟りを恐れるが、シェマハの女王は笑い始める。
ドドン王に対して、シェマハ女王は
「お前のような出来損ないは消えてしまえ」
と叫ぶ。
そして、金鶏が耳をつんざくような鳴き声で
「キリク、キリクク!愚かな爺さんの頭を突っつくぞ!!」
と叫び、ドドン王の頭を突っつき、ドドン王は死ぬ。
そう、「本当の危機」は、「侵略してくる近隣諸国」ではなく、「自国の愚かな爺さん」にあったのである。
......。
シェマハの女王は、高笑いをしながら金鶏とともに消え去る。
金鶏に殺されたドドン王の葬儀で、国民は、
「あの王様は、愚かだったのかもしれないが、王様がいなくなったら、私たちは、どうすればよいのだろう。
どんな愚かでもいいから、誰か私たちを導いてくれ」と盛大に嘆きの歌を歌う。
後には、
「ドドン王よりも、もっと愚かな国民」だけが取り残されたのかもしれない。
この現代日本にも通ずるような辛辣な政治風刺を含んだ音楽は、すぐに上演禁止になり、その心理的ショックがコルサコフの死期を早めたとも言われる。
帝政ロシア、ソ連時代にも長く『金鶏』の上演禁止は続き、再演が果たされたのは、1989年の事であった。
それほど、芸術による政治風刺は強力であり、恐れられていたのである。
『金鶏』は、冒頭同様、星占い師が登場し、
「お話はおしまい。
悲惨な結末をおそれなくてもいい。
何故なら実在したのは私と女王だけ。
残りは幻さ」
と意味深長に告げ、観客に一礼して姿を消す。
しかし、観客の裡に芽生えた「おそれ」や「不安」は、消えずに残ることであろう。
それゆえ、芸術による政治風刺は、強力であり、恐れられていたのであろう。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
音楽から眺めてみる世界からシリーズでした😊
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