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ケインズとマルクーゼに学ぶテクノロジーの活用方法-商学部だったことを思い出したので......④-

現代のテクノロジーがもたらした、驚くほど高い効率によって、私たちには、

①ますます多くの物を生産する

②労働時間が減る

③失業者がますます増える

という、3つのオプションが示されているようである。

ケインズは、その時代の最も優れた経済学者であり、資本主義の暗黒時代の救世主となった人物であるとも言えるだろう。彼は、1930年に、

「人類に必要とされる労働時間は、間もなく、週に15時間だけとなり、それによって自らの関心を深めるための余暇の時間が増える」

と、熱い思いを込めて予測した。

確かに、それ以前の50年の間に、急速なテクノロジーの進歩と週労働時間の削減の両方が実現したことを考えると、これは、理に適った予測だったのかもしれない。

また、資本主義を激しく批判していたマルクーゼは、短縮し続ける週労働時間を道徳的な観点からみていた。

つまり、浅はかな大量消費主義の「1次元的社会」から人類を守る唯一の方法だと考えていたようなのである。

実際に、マルクーゼは、

「人々は手に入れた商品の中で自己を認識する。

自動車、ステレオセット、スキップフロアのある家、キッチン設備に自らの魂を見出すのだ」

と述べている。

つまり、そのような社会には、教養を高めるために許される時間はなく、自立する余地もない。

過剰な労働が、人間の生活を平板にするとすれば、私たちを3次元的人間に戻すために、欠かせない。

マルクーゼは、

「労働時間を減らすことは、自由を実現するためにまず必要となる条件である」

と述べている。

少なくとも、現時点では、ケインズやマルクーゼのような非常に賢明な人物でも、テクノロジーが余暇に与える影響に関しては、ほとんど予測できていなかった、と言えるかもしれない。

テクノロジーの進化によって、労働者はさらに奴隷化するか、もしくは、テクノロジーに、すべて取って代わられるか、になった。

歴史のさまざまな段階で、テクノロジー革命が起きるごとに、人々は、その革命が起きる前よりも、忙しく働くようになった。

それは、常に生産性の向上によって、さらに多くの産物が作られ、さらに多くの人手が必要とされたために、余暇の時間が増えなかったからである。

農業革命が起きる前の狩猟採集民には、農業革命後の農民よりも余暇の時間が在った。

また、産業革命が起きる前の農民には、工場労働者よりも余暇の時間が在った。

さらに、情報革命が起きる前の工場労働者には、コンピューターを操作する人よりも、余暇の時間が在った。

......。

「持続可能な経済」の重要な成果は、

皆の労働時間が減少するものの、皆、何らかの仕事はある

、という状況であろう。

今こそ、私たちは、ケインズやマルクーゼが思い描いたようにテクノロジーを活用する必要があるのかもしれない。

つまり、私たちを、もっと面白い人間にし、もっと何かに関心を持つ人間にし、物質的に貧しくはなっても、時間、知恵、幸福、人間関係でもっと豊かになるよう、テクノロジーを活用するのである。これまで、生産性の大きな向上は、ほぼ、無駄にされてきた。

ほとんど必要のないものを大量に作り、労働者を無用の長物にしてしまった。

コンピューター化とGDP成長の抑制に伴う最大のリスクは、大量の失業者が出ることである。

これは、生活の満足度に致命的な影響を与え、自殺の重大なリスク要因となる。

週労働時間を短くして、雇用を分散させ、失業者の保護を手厚くするのが、自殺を防止する最善の形であり、国全体の幸福の最も強力な誘因のひとつ、だと、思う。

興味深いことに、北欧諸国では、失業は、さほど、大きな不幸の原因とはならない。

それは、各国が極めて強力なセーフティーネットを用意しているからである。

資本主義の良い点は、市場の不均衡が、税金や助成金、規制によって、それなりに、容易に是正出来ることである。

一方、悪い側面は、税金、助成金、規制条項に関連した不正が、簡単に行われることにより、優遇されている者は、さらに優遇され、不利な立場にある者は、さらに不利になることである。

私たちの税金や規制の規定は、往々にして、産業界などに阿って起草されていることがあるので、それが、往々にして、公共の利益や将来世代を犠牲にして、産業界の短期的利益を重視するものになっている。

しかし、簡単な調整をすれば、産業界に対する奨励策を正しい方向に修正することが出来る可能性は、あるのではないだろうか。

例えば、炭素税のように、企業に対する税金は、現在の収入だけではなく、企業の活動によって犠牲になった将来の利益である直接的機会費用にも課す、などである。

また、化石燃料や農業関連産業に対する手厚い助成金は、クリーンで持続可能なエネルギーや食品を製造できる競合企業に向け、廃棄物の削減、インフラの強化、最も持続性のある社会的利益の創出のために、最高の効率を生み出す技術に対して減税が行われるべきではないだろうか。
さらに、常に交換が必要な使い捨てのゴミではなく、長持ちする質の高い製品を作る技術に報賞を与えることで、買い換えを促すだけのモデルチェンジを終わらせる必要もあるだろう。
私たちの経済は、その健全さを保つために短期の消費者購買に依存するのではなくて、長期の産業投資に頼る必要があることは、明白であるはずだ。
今、新たなテクノロジーは、燃料、金属、食料などをかつてない効率で、地球から取り出している。
しかし、同時に、人口のさらなる増加、将来の世代のために残される資源の減少、汚染や環境の劣化、雇用の喪失などの予期せぬ影響も出ているのである。
私たちは、世界を荒らすのではなくて、むしろ、世界美しくをにする方向に、テクノロジーを活用しなければならないだろう。
確かに、個人で出来ることはあまりないようにも思えるが、まず、目を逸らさず、現状を出来る限り正確に、認識したい、と思う。
世界の人口増加を支えきれなくなり、資源が底をつき、人間が気候をすっかり変えてしまい、私たちが、空気を吸うことも困難になる前に、私たちは、テクノロジーをうまく使えるようになり、現状を持続可能なバランスに出来るか、どうか......とても難しく悩ましい問題である。

他力本願だとはわかりつつも、分別のある指導者がいつの日か、公平で持続可能な政策を実行することを私は、期待しているのだが、本当に間に合うのかどうか、については、今のところ、不安なままである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

商学部だったことを思い出したので……シリーズでした😅


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