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社会のなかの芸術、芸術のなかの社会④ーハクスリーの『すばらしい新世界』が教えてくれることー(トランプ氏大統領就任から25日)

精神医学において「妄想」とは、
「強固に維持された揺るぎない誤った信念であり、決定的な証拠や理性的議論による修正にも抵抗するもの」と定義されており、動詞として「妄想させる」と使われる場合は、誤ったことを相手に信じさせるという意味になる。

私たちの社会も、個人に起きる妄想と原因、内容、結果という点でよく似た、いわば集団の妄想に悩まされているようである。

妄想の患者は、明らかに不合理な信念が、脳の混乱や誤作動、つらい現実を避けられるようにする心理的防衛機制や抵抗できないほどのストレスを原因とし、大きな障害につながっても、それに固執する。

同様に私たちの社会は、明らかに不合理な信念が、指導者やその支持者が持つ心理的要因、私たちが直面している解決困難に見える問題から目を背け、大きな障害につながろうとも、頑固なまでにそれに固執するようである。

「妄想」は、個人においても、集団においても、降りかかってくる現実を否認し、すべてを他者のせいにし、尊大な態度を取り、自分は尊敬されているという誤った感覚を持つという点においては同じであろう。

個人の妄想と同様に、社会の妄想により私たちはリスクが見えなくなり、意図せぬ結果にも無頓着になり、さまざまな重大危機に対して消極的な態度を取り、現時点の判断を「将来なんとかなる」という誤った信念に依存しながら先送りしているようである。

それは、1932年にオルダス・ハクスリーが、多くの人にとって一見すると幸せそうに見えるが、地獄であると考え、描いた際限のない愚かな快楽の追求にも似ているるように私には思われる。

ハクスリーは、制限のない愚かな快楽と、芸術の創造、科学の進歩、人間の尊厳は両立しないものであり、快楽主義の下で人間が完全に幸せになるためには、それと引き換えに、人間の尊厳を捨てた存在に甘んじることを受け入れなければならないことを『すばらしい新世界』を通じて私たちに教えてくれているようである。

私たちが現実を否認することは、短期的には安心できても、長期的に見れば惨事を招くことは、短期的な利益追求が、長期的な持続可能性を損なうリスクを生むような場面に見られるだろう。

例えば、私たちには、枯渇してゆく資源、進む地球温暖化、止むことのない戦争、広範に広がる感染症の頻発、度重なる食糧不足を心配することなく、世界人口は増え続けることができるという妄想と、実際は人口知能の進化の速さに、常識や倫理上の配慮をもって適切に制御できないかもしれないのに、私たちには技術革命によってなされることはすべて正しいとする妄想があるようである。

政治的公正の観点において、人口抑制は、今や最も不適切な話題のひとつだろう。

たとえ、人口過剰が、今、世界において事実上すべての壊滅的な問題の原因であったとしても、それをメディア、政治的議論、学者の発表において議論したり取り上げたりすることは、ほぼ絶対的と言えるほどタブーになっているようである。

実際に、最近の戦争や難民危機、飢饉、感染爆発の原因の分析は、ほぼ常に、政治的・経済的・個人的原因のみに注目が置かれており、人口過剰という切実な根本的な原因には、ほとんど触れられていない。

それは、私たちが人口抑制が暗示する恐ろしい含意や連想、例えば、優生学、ヒトラー、生殖に対する制限、家族主義の破壊、宗教的信念との矛盾などから目を背けるため、人口抑制の話題自体から逃げているからである。

人口過剰の否認は、なかなかなくならない集団の妄想のひとつだろう。

長い人類の進化の歴史のなかで、最近まで人類の人口は少なく、種としては生存することが困難だったため、私たちの文化、価値、行動は、DNA増殖のために、必然的に作り上げられたようである。

今、私たちは、問題本体ではなく、そのような「含意や連想」のをも恐れるために、皆で、人口抑制や人口爆発について話すことも、考えることすらも恐れている。

しかし、もっと恐ろしいことは、そうして逃げていることによって、引き起こされる事態ではないだろうか。

過去2世紀の間に、世界人口が爆発的に増えることが出来た唯一の理由は、新たなテクノロジーにより、化石燃料の発見と採取が大幅に進んだからである。

石油生産量と人口の変化を示したグラフは、ほぼぴったりと重なる。

支出に見合う価値が化石燃料と同じようにあって、現在と同様の密度の世界人口を支え続けられるエネルギー源は、今、他にはないだろう。

化石燃料は、何百万年という間に、地中で押しつぶされた何兆もの有機体から生まれるが、今、私たちは、石炭、石油、天然ガスをそれらが補充されるスピードの十万倍早さで消費している。

しかし、私たちが、はなはだ、無計画に無駄遣いしているものが、限りある資源であると言うことは、疑う余地がないのである。

無駄遣い出来るような安価な燃料が無くなったとき、地球の人口は、ハクスリーが著書『素晴らしい新世界』で設定した、およそ20億人に落ち着くことになってしまうのだろうか。

もちろん、私たちは、資源保護と持続可能な代替エネルギー源の促進について真剣に考え、私たちひとりひとりがこの貴重な必需品を節約しながら大切に使い、将来の世代に渡すように努力すべきであろう。

しかし、そのような努力だけでは、急速な資源の枯渇には対応出来ないであろう。

急速な資源の枯渇だけではない、取り返しのつかない地球温暖化、絶え間なく続く戦争、大量の移民、広範に広がる感染症の頻繁、度重なる飢饉が、私たちや将来世代を脅かすであろうことは明白である。

しかし、私たちは、これらの脅威をあまり起こすことなく、または、これらの脅威をなんとか、躱しながら、世界人口は増え続けることが出来るという、願望的思考を持っている。

2世紀ほど前に、トマス・マルサスは、
「人口の力は、人間が生存するための糧を生産する地球の力より限りなく大きい」
ということを、初めて明らかにした。

マルサスは、人口学に関する深い洞察を持ち、人口は幾何級数的に急速に増加する傾向がある一方、食糧は算術数的に、ゆっくりとしか増加しないと論じた。

つまり、私たちは、人口爆発により、長い目で見れば、決して勝つことの出来ない食料供給との戦いに身を置くことになるのである。

マルサスは、人口抑制を意識しないかぎり、繰り返し起きる飢饉や、戦争、疫病、自然災害という惨事を経て、人口は自動的に抑制されることになる、と、示唆している。

チャールズ・ダーウィンもアルフレッド・ラッセル・ウォーレスも、生物間の競争を経て起きる自然選択が進化につながるという発見は、マルサスの著書を読んだことがきっかけだと、考えていたようである。

人口は常にどこでも食料供給を上回る傾向にあるため、結局は生存に最も適した変異を持つ者が生存競争に勝つのである。

また、マルサスは、心理学的洞察も持ち合わせ、人間の弱い理性は、それよりもずっと強力な生殖本能に対して、ほとんど影響を与えないと論じ、知恵と自制心がなければ、将来に、貧困と悪徳が発生する、と、予測した。

人類の人口は、1万年に農業革命が始まった頃はわずか500万人ほどだった。

その後マルサスが唱えたような目まぐるしい速度の人口増加が起き、キリスト誕生時には3億人まで増え、1800年には10億人、現在では80億人、2050年には100億人、2100年には少なくとも110億人に達しそうである。

マルサスの予測に拠れば、テクノロジーによる成功の後に起きる人口爆発によって報われるのは、ごく少数の人々にすぎないようである。

大人数の人々にとって、人口爆発は、大きな問題を生み出す。

紀元前1万年より前、500万人の狩猟採取民は、今よりも良いものを食べ、身長が高く、自由で平等であり、余暇の時間があったようである。

キリスト誕生時に、自給自足の農業をかろうじて営んでいた3億人のうちの大多数よりも、幸せだったのかもしれない。

確かにテクノロジーで生み出される物ははるかに多くなり、それによって人口も増えたが、私たちは、「以前よりも、健康であり、幸せであるか、人間の尊厳は守られているか」という問いにはっきりと肯定の答えを私たちが出せている状態かは疑問である。

確かに、人間が持つ繁殖力の高い生殖戦略は、1万年前に人類が直面した環境には完全に適合していた。

1万年前は、人口が少なく、人類は孤立した状態で、重大な絶滅のリスクにさらされていたからである。

しかし、現在は状況が違うのである。

かつての人口不足の世界では優れた戦略も、現在の世界には適合しない戦略なのである。

人口に関する外的現実が劇的に変化してきたにもかかわらず、私たちの本能はきわめてゆっくりとしか変化していない。

また、文化的信念の変化も、切迫した環境の危機が進むスピードより、ずっとずっと遅いのである。

日々、ニュースで見る新たな大惨事は、実は、根本的な原因のひとつは同じであるように思う。

大惨事の背景には、ただ、
「あまりにも少ない資源を、あまりにも多すぎる人々が、追い求めて」いる現実があるのである。

マルサスの予測からすれば、革命、内戦、移民、干ばつ、飢饉などは必然的に起きているのかもしれない。

また、私たちは、人工知能が私たちの問題を解決すると考えがちだが、
なぜ私たちは、
「人工知能が人間を1つの(取り除くべき)問題とみている」とは、どうして考えないのだろうか。

私たちは、人間に対しては、悲観的に考えすぎ、人工知能が持つ永遠の善意に対しては楽観的に考えすぎていると私は思うのである。

人工知能が私たちに対して永遠に親切であるという標準設定の役割を続けていくと、果たして、考えられるだろうか。

人工知能はその進化の過程で、人間の本来の意図や指示から大きくかけ離れたプログラムを選択するかもしれないのだ。

人工知能を熱烈に支持する人々は、コンピューターの能力を絶する成長を予測したムーアの法則が、おそらく将来も限りなく続き、コンピューターがほんの数十年以内に人間の知能を追い越すと予測している。

一方、人間は賢くなるにしても、そのスピードはとても遅い。

すぐにずば抜けて賢いコンピューターが、さらにもっと賢いコンピューターを開発することができ、さらにそれが、また、賢いコンピューターを開発するというプロセスが繰り返され、コンピューターに比べ、学習スピードが遅い私たち人間は大きく引き離されるであろう。

「シンギュラリテ(technological singularity)」は、人工知能が人間の知能を追い越すという、進化の転換点を表すのに使われることばだが、そのときに何が起きるのか、は実は誰にもわからないだろう。

人工知能の最初の先駆者(アラン・チューリングとジョン・フォン・ノイマン)は、そのような日がやって来ることを60年前に見通していた。

彼らは、やがてコンピューターが、力任せの計算力に頼った知性の勝負でことごとく人間に勝つと考えていたのだ。

しかし、彼らは、そのようなことを瞬く間に起こせるほどチップ技術が進化するとはまったく想像していなかったようである。

コンピューターはまず、気象や景気動向、粒子の衝突、宇宙の起源、そのほかの科学者が研究するほとんどの事柄のモデル化に必要な大量の数値計算において人間に勝った。

さらに、チェスや碁、人間の顔と感情表現の認識、車の運転、飛行機や宇宙船の操縦、医学的診断、ヘッジファンドの運用では、人間を負かすことにやや時間はかかったものの、かつてコンピューターの能力の範囲外だと考えられてきた非常に多くの事柄でコンピューターは人間より優位に立っている。

チューリングが提唱したチューリング・テストは、コンピューターにとって比較的簡単であったようだ。

人工知能は、今や、生身の人間と見紛うようなことができる。

皮肉な話だが、人間だけの例外として残ると思われる能力は、

「くだらないミスをすること」だけであるようになるのではないかと私はかなり恐れている。

人工知能の業界は、きわめて深刻な結果をもたらす可能性を考えず、期待と成果を限界まで高め続けている熱狂的な人々で溢れている。

彼ら/彼女らは、政府や企業、億万長者の夢見る愛好家から多額の資金援助を受け、新たな人工生命体を作る力の虜になった現代のフランケンシュタイン博士たちである。

彼ら/彼女らの仕事は、ほとんどの制限されておらず、その危険性に関わる貴重な議論は、ほとんど行われていない。

人工知能は進化が早すぎて、常識や倫理上の配慮を持って適切に制御できないのではないかと、私は、やはり、思ってしまう。

ビル・ゲイツやイーロン・マスク、スティーヴン・ホーキング(2018年3月14日死去)は皆、私たちに従順であるようにコンピューターを作ることが、やがて将来の人間生存に対する脅威になるかもしれないと危惧している。

人間が今後、地球外生命体と接触する確率を計算する理論家は、

人間が接触する地球外生命体が機械であり、生物学的生命体ではないと予測するようになっている。

なぜなら、生物学的生命体の生存期間の方が機械より相対的にずっと短くなっているからだ。

人間に対して最終的にどんな影響があるのか、あらかじめ徹底的に話し合うことなく、人間ができるありとあらゆること、そしてさらにそれ以上のことをこなせるプログラムを安易は開発されている最中だろう。

いかに技術的に素晴らしい取り組みであったとしても、倫理に関する議論や衆人環視の中に縛られていなかったり、手段にのみ重点が置かれ、目的がまったく考慮されていない取り組みは、どうしても、私にはとても恐ろしいものに感じられるのである。

人工知能に制御された世界で、

「人間は不要な存在である」
と人工知能が決めるリスクを始めに話し合うことなく、人工知能が作るユートピアを夢見る者たちは、ディストピアを創造しようとしているかもしれないことに気づいて欲しい。

その世界に、人間は、いないのだから。

ハクスリーは、主人公を通して
「僕は不幸になる権利を要求しているんです……欲しいのは詩です。
本物の危険です。
自由です。
美徳です。
そして罪悪です……僕は僕でいい。
情けないままの僕がいい。
どんなに明るくなれても他人になるのは嫌だ……僕は不幸のほうがまだいい。
あなたがこっちで楽しんでいた嘘っぱちの幸福よりは」
と言っている。

修復がきかない世界になる前に、私たちは妄想的な考えから目覚め、現実を直視できるだろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

※見出し画像には、マグリットの『光の帝国』を用いました。
『光の帝国』の基本的な構造は、下半分が夜の通りや湖で、上半分が昼の青空という矛盾した要素が同居したものとなっているため、今日の見出し画像にしようかなあ、と思ったのです😌



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