おかしいことに、声を上げること #週明けの強行採決に反対します
コロナ以降、政府におとなしく従っているだけでは自分たちの生活や生存が壊されてしまうことに多くの人が気づいて、声を上げるようになりました。
そして気づいたこと。声を上げない限り私たちは馬鹿にされたままだけれど、声を上げれば何かが変わる。
声を上げる人が少数であれば、政府は冷笑して、黙殺して進めてしまうけれど、多数になれば政府もひるむということも知った。
私たちが主権者であり、国にあり方を決定するのは主権者なんだということを時々リマインドしないと、政権はどんどん増長し腐ります。
検察官の定年延長を最長で3年まで可能にする検察庁法の改正案
が、そんなコロナの最中に強行されようとしています。
この法案の解説記事で詳しいものは例えばこちらの記事です。
https://digital.asahi.com/articles/ASN5J6716N5JUTFK00C.html
定年延長そのものは
いずれの点も、野党が反対しているわけではない。問題視しているのは、役職を退く年齢になっても、政府が認めればポストにとどまれる「特例」が、埋め込まれていることだ。
ということなんですね。
自分たちが好きな検察官を居座らせることができる、トップに据える人事が思いのまま、法律のルールさえ変えてしまう。どんな権力犯罪をしても裁かれないようにしてしまう。
法務・検察内では候補を先まで緩やかに決め、制度上は任命権を持つ内閣もこれを尊重してきたというこれまでの慣行(堀田力氏)に対する政権のあからさまな人事介入です。
安倍政権になってから、内閣法制局長官人事も、最高裁判事の人事も、実は政権が介入してきた。
そして、権力犯罪を捜査する検察まで手中に収めてしまえば、三権分立も、行政の暴走を止める歯止めとなるすべての仕組みを換骨奪胎にして、支配はほぼ完成、やりたい放題になります。
弁護士でこれに反対するアピールを出し、私も賛同しました。
司法の独立を脅かしかねないやり方に元検察トップからも声が上がっています。
検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘(せいちゅう)を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。
正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
検察OBがここまで言うのは本当に異例です。
署名も集まり、#ツィッターデモ も続いています。
本当に素晴らしいことです。
危険を冒して、著名人の方まで声を上げてくれて、とても感動しました。きっと、ずっと言わずに来たけれど、危機感や怒りを強く抱え、この社会を懸念してこられたことがわかります。本当に感謝します。
おかしなことに声を上げること。
このことについて何度も書いてきました。
おかしなことをおかしいといえる自分でありたいし、おかしなことをおかしいといえる社会であってほしい。
「おかしい」と直感し、自分なりに検証したら、反対論があっても、仮にそれが支配的であっても、空気を読まずに、決死の覚悟などせずに声を上げられる社会であってほしい。
誰もがおかしなことにフラットに声を上げられる社会を作りたい。
ちょっと前まで当たり前だったそう言うことが危機にさらされるようになったのはやっぱりこの10年くらいで、その前はこうじゃなかった。
以下に書いたのは、2013年11月のブログです。安倍政権がスタートした初期の私にとっての「おかしなこと」特定秘密保護法のの衆院採択時のブログです。
沈黙していてはいけない。
負ける可能性がものすごい高いことをそれでもあえてするなんて、カッコ悪いと思うかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。私は違うと思うのです。
結果を予測して、諦めてしまって、何もしないと、この国の市民とか民主主義なんてこんなもの、と甘くみられるでしょう。
真剣に怒るべきだと思います。
一度乱暴なことをして、人を怯えさせ、屈服させ、沈黙させ、従えた者は、味をしめるのです。
時々は笑顔で、親切そうに人気をとり、でも肝心な時は暴挙で乗り切ればいいのだ、という教訓を得るのです。
ショック・ドクトリンと同じです。
市民が、むきだしの暴力・暴挙に愕然として、行動の足がすくんでしまったら、
そして何もしなければ、ずっとずっとこんな横暴が続いていくのです。
私たちは抵抗する力すら失ってしまうでしょう。
あれが始まりで、その後、安全保障法制、共謀罪、報道の自由への圧力、森友疑惑、文書改ざん、改ざんを担わされた公務員の方の自殺、桜を見る会の私物化、最高裁・内閣法制局長官人事への介入。。
政権が思うがままにふるまい、憲法や法律の解釈を都合よく捻じ曲げ、文書を改ざんし、破棄し、記録を残さなくなり、抵抗する人たち(公務員やキャスター、ジャーナリストetc)がポジションを奪われて「迫害」され、命さえ絶つという事態も生まれました。
だんだん私たちも、感覚が鈍っているけど、真綿で首を絞められるようにちょっとずつ息が苦しくなってきてる。「反アベ」と少しでもみなされた人たちは、まるでわからずやの非国民とみなされ、市民権をはく奪されるような風潮になりつつありますが、それっておかしくないですか?
その一方で森友加計問題も桜を見る会も捜査のメスが入らない。政権関係者は何をやっても無傷。
もう十分だと思います。
私たちが求めるのは、自由で、風通しの良い国、政府は税金や政治を私物化せずに私たちの負託にこたえて真面目に政治をする、誰かの新しい発想や「おかしいね」という声が尊重され、取り入れられ、それによって未来に向けて発展していく民主主義のある社会。権力が暴走したり合理性のない政策を推進したら、健全に異議が出され、是正される風通しの良い社会。
当たり前のことです。
これ以上この国が壊れることがないように、気負いなく何度でも声をあげたい。
最大の悲劇は、
悪人の暴力ではなく、
善人の沈黙である。
沈黙は、
暴力の陰に隠れた
同罪者である。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア