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誰かの靴を隠したことはありますか



私はある。

と言っても、陰湿ないじめ的に上履きを隠したとか、そういう話ではない。


私は小学生のころから鍵っ子だったんだけど、同じ団地のすぐ下の階に幼なじみがいたので、いつもお互いの家を行き来していた。冬の夕暮れの、鍵を開けたときの誰もいない真っ暗な家が嫌いだったので、幼なじみと一緒に部屋に入る。

幼なじみのマキちゃんが家に来ると、型抜きクッキーをつくったり、一緒に「MYOJO」の切り抜きからジャニーズJr.のシールを自作したり、ただただムカつく男子の愚痴を話したり、時間はいくらあっても足りなかった。
それでも、さすがに夕方6時になると、私の家からマキちゃんは帰ってしまう。誰もいない家は時計の音が妙に大きく聞こえるし、冷蔵庫の低いブーンという音すら怖かった。

寂しがり屋だった私はたまに、マキちゃんが帰る前に靴を隠して、かなり困ったやつだったと思う。

私はそんな困ったやつだったんだけど、マキちゃんは幼稚園時代から今に至るまで友達でいてくれて、年数で言えば34年間だ。

マキちゃんの七五三の写真には私が、私の七五三の写真にはマキちゃんがいる。
マキちゃんのお兄ちゃんの反抗期が凄まじくて壁に穴を開けた日のこと(穴をまじまじ見て、賃貸だよねえと2人でひそひそ話した)
2人で藤原紀香のお面をつくって、うちのお姉ちゃんの家庭教師を驚かした日のこと(もはや意味がわからない)、
毎日の少し笑えるくだらない日常とか、そんな中でどんなふうに感情が動いたのかとか、子供時代の大半の記憶を共有している相手だと思う。

もとは30秒で行き来できる距離感に暮らしていたけど、高校生になり、うちは団地から引っ越すことになり、私たちはわあわあ泣いた。
引っ越し業者が荷物を運び、がらんどうになった団地の部屋。
二人で夏休みにかき氷を食べたベランダ、お菓子づくりをした狭いキッチン、冬はずっと一緒にこたつに入っていたリビング、そして、何度もお泊りをした6畳の洋室。

さすがに引っ越しの日、靴は隠さなかったけど、
「エイプリルフールの日にマキちゃんがうちに来てて、そしたら、お姉ちゃんが包丁が刺さって死んだふりしたんだよね。ケチャップまいてさあ」とか
「木曜の怪談のMMRに超ハマってて、窓から宇宙人が来るかもしれないって言い出して寝れなかったんだよね、二人とも」とか、くだらないことをずっと話していた。とにかく新しい家に行くのが嫌で先延ばししたい私、それを察したマキちゃんは延々と私の思い出トークを一緒にしてくれていた。
精神的には、靴を隠した小学校時代と変わらない。

今となっては、そのときの引っ越した先だって、徒歩でせいぜい30分、自転車で15分という距離なので、今、思えば今生の別れみたいに、そんなにわあわあ泣くようなことでもなかったのかなと思う。

ただ、マキちゃんと私は高校、大学、社会人と年をとるにつれ、過ごす時間は減っていったし、たまに近況報告会を開催しつつ、お互いの一番ではなくなっていく感覚があった。そりゃそうだと思ったし、明るくて面白いマキちゃんは友達がたくさんいた。
それでも私が彼氏にフラれたり、新卒で入った会社でぼろぼろになったとき、最初に頭に浮かぶ相手はマキちゃんだった。

関係性が少しずつ変わっても、子ども時代の濃密な思い出を共有する「精神的支柱」、それがマキちゃん。

そんなマキちゃんとは最近は年2回、お盆や正月に会うぐらいになっていたけど、なんとマキちゃんが30代後半にして外国に移住することになった。びっくりとともに、しかし、おめでたい事情だったので、初めてそれを聞いたときはただただ祝福した。

しかし、いよいよ日本を発つXデーが近づくにつれ、今度こそ本当に遠くに行ってしまうんだなということを実感していく。自転車でも、京葉線や東西線でも、新幹線でも行けない距離だ。飛行機ですら乗り継ぎしないと会いに行けない異国。小学生の頃は30秒で会えたのに。

出立前、もう会えるのは最後かなという日、私たちは閑散としたサイゼリヤにいた。ボトルを一本開けても全然話が尽きることもなく、500mlのデキャンタをおかわりしたぐらいで、いよいよ泣いた。

「私が高校で引っ越すとき、ピンキーガールズのネックレスくれたよね。あれずっとお守りにしてたよ」

「中学校の頃、いじめてきた男子のこと、大人になっても2人で密かに不幸を願ったり、そんな話できたのマキちゃんだけだったよ」

「小学校の夏休み、マキちゃんの家に行ってだらだら2人で麦茶飲んで、怖い話のテレビ見たり、あれ最高に幸せだったな」とか

そういう話をぽつりぽつりとしながら、平日のサイゼリヤで泣いた。

靴を隠しはしなかったけど、留め置きたくて
更にデキャンタのおかわりをした。

2つ目のデキャンタが空くころ、
「私、色々としてもらってばかりだった」という話をしたら、マキちゃんは「ちがう、私だよ、私が与えてもらってばかりだった」とまた少し泣いた。

距離も時間的な制約もある中で、いつでも会えるわけじゃないし、恋人とか伴侶とか子どもとか、相手に自分なんかよりも大事な人ができても、それでもたまに会って、笑って話せる友達。

しばらく会えなくても、相手が幸せで暮らせることを祈り続けてるし、もしもめちゃくちゃつらいことがあっても、帳尻合わせみたいにその後にたくさんいいことが起きればいいなとただ願う。

どうかマキちゃん(仮名だけど)が新しい環境でも、最高に楽しい毎日が過ごせますように。

SHISHAMO「ともだち」

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