【雑考】アーティストになることを選んだことについて
パリ滞在記の佳境を前に焦らしているようですが、ここ最近とみに身に染みて感じていることをまとめたいと思います。
私の祖父は、生粋のアーティストでした。油絵を一生をかけて描き続けてきました。しかし、生前も亡くなった後になっても、家族の理解は得られませんでした。それは、妻である祖母を働かせ、自分は好きな絵ばかり描いている、とアーティストたる根元を否定されてしまっていたからです。
祖父の生活、活動資金を支えていたのは祖母です。それは違いありません。しかし、それは責められるべきことでしょうか? 私は祖父と暮らしたことがあるわけではありませんし、実家の静岡は遠く、滅多に生前会うこともなかったのですが、祖父もことお金、に関しては工面を試みていたはずです。生徒を抱え、建築士でもあったのでその仕事もしていたといいます。すべてを祖母に任せてしまっていることに、心苦しさもあったかと思うのです。
それでも、祖父はアーティストでした。通信兵としてベトナムに配置されても、ベトナムの風景を、手に入る水彩絵具で時を惜しむように描いていました。亡くなる直前、入院していた祖父を見舞った際も、私の腕を掴んで院内を歩きながら、私のことなど判別できない状態であったにもかかわらず、「ここの窓から見える富士が最高なんだ。いつか描かなければ」と呟いていたのが胸に残っています。ああ、この人は本当にアーティストなんだ、と強く胸を突かれました。
祖母もそんな祖父の妻として、誇りに思っていなかったわけではないはずです。祖父が東京で個展を開いた際にも、東京まで同行し、会場の前でDM配りを頑張ったと聞いています。お金のことで祖父を恨んでいたとしたら、そんなことができるでしょうか?
私も、日本に帰国したときに、アーティストであり続ける決心をしました。アメリカで必死で学んだ写真アートを、一生続ける決心をしました。しかし、私には祖父にとっての祖母のような存在はありません。自分で生活費、活動費を稼ぐしかありません。幸い、私には文章の才があったので、ライターとして独り立ちすることができました。ディレクターやプロデューサーなども経験しました。それでも創作の時間が週末に限られてしまう状況には安寧できず、次第に職も点々としながら合間に創作や個展を行う生活になってきました。
そうこうしているうちに、職場での人間関係にも恵まれず、神経症がどんどん悪化していきました。いつしか、障害者の等級も2級になっていました。まともに仕事も続けられず、かといって収入がなければ生活が成り立たない。それでは創作どころではない、といった負のスパイラルにどっぷりハマってしまいました。果てには、私を支えてくれていた妻にも見限られ、46にして独身となってしまいました。もう頼れる人はいません。
かと言ってかつてのように働くことは肉体が拒みます。仕方なく日雇いのガテン系の仕事なども請け負っています。ライター兼フォトグラファーというお仕事も手に入りましたが、十分な収入にはなりません。パリに行って創作したいのに、パリを拠点とするためにギャラリーに売り込みもしたいのに、なに一つ前進しません。膨らむのはやるせなさと借金のみです。
アーティストとして生きたいのに、精神疾患と経済難が邪魔をして一歩も動けません。これは自業自得なのか? と自問の毎日です。
アーティストを目指しておられる方がこれをお読みになっていたら、ぜひ助言があります。アートにおける社会との繋がり方を工夫されることです。決して媚を売らずとも、社会と関わってお金を得る方法はあるはずです。私が20年早くそのことに気づいていたら、と過去を振り返ってしまいますが、若い方には是非とも処世術を身につけてほしい。アートマネージメントを勉強して欲しいと思います。私の苦労を、美談などと思わないでください。
長くなりましたが、最近考えていることを取り止めもなく綴ってみました。何かのお役に立てば幸いです。
それでは、また次回。
成瀬功
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