個展カウントダウン<28日>:ジャパン、という非情のなかで
向かうところ敵なしだったアメリカでの写真経験をひっさげて、意気揚々と帰国した私に待ち構えていたものは、ジャパンで生きる、というもうひとつのカルチャーショックでした。
アメリカ文化の中で写真を始め、アメリカの偉人の写真から学んできた私にとって、日本という国の写真は全く異質なものでした。否、日本の文化そのものが、既に私にとっては異質なものに変わってしまっていました。本質に欠け、ファッションを追いかけ、表層的な文化論が良しとされる世界に、ただただ私は驚愕するばかりでした。
アメリカが全てにおいて正しいとは思いません。日本にも素晴らしい文化があります。私は、アメリカの大学を卒業する前にインターンとして働いていた新聞社に見込まれて、就職のポストも与えられていましたが、日本文化を、日本語の豊かさを忘れられず、就職の話を断って帰国したくらいです。私が間違えていたのは、日本社会に、アメリカ文化で対抗しようとしていた点です。
日本で上手くやっている帰国子女の方々や、欧米人もたくさんいます。私はただ、あまりにもナイーブだったのでしょう。こと写真においては、そのナイーブさが露呈して、耐えがたい苦痛と変わってしまいました。アーティストとしてしか写真を知らなかった私が商業写真の世界に入ろうとしたのも間違いだったのかもしれません。
私は、帰国してすぐ入ったコマーシャルスタジオでなんとか写真技術を学ぼうと食らいつきましたが、長くは続けられませんでした。それから、外資系の通信社でインターン記者になりました。これは非常に楽しかったです。日本人が多かったは多かったですが、皆帰国子女であったり異文化に理解があり、同僚のアメリカ人とも気があって居心地よく過ごさせていただきました。しかし、写真から離れるのはとても辛かったです。
1年のインターン満了後、私はパリという街に出会いました。インターンを終えて実家で何気なくテレビをつけていたら、パリの街が映されたのです。「ここに行かねばならない」と直感的に思いました。そのまま旅行代理店へ飛び込み、とにかく往復のチケットだけを買いました。それが、以後6回にわたる私のパリ滞在の始まりでした。
パリは素晴らしい街です。アメリカでもない、日本でもない、新たな開拓地としては最高の街でした。今回の個展でも、パリの街角を撮った作品がいくつかあります。是非、ご覧いただきたく思います。
次回から、少しパリの体験についてお話ししましょう。では、また次回まで。
成瀬功