産み育てる義務を免れている
結婚して4年ほど経つ。
子どもが欲しいかどうかでいうと、いらない寄りのやや欲しい、ぐらい。
特に避妊はしていないけれど、なかなか授からない。
とりあえず健康上の問題がないかだけ、夫婦ともども検査等してみたところ、特に心配すべき病気等はなかった。
そんな折、昨年の夏に一度授かった。生理が来ないなと思って、こういうときに妊娠検査薬を使うのかしらと薬局に赴き、あっさり陽性反応が出た。授からない体質だと信じ込みつつあったのでびっくりした。産婦人科に行き、確かに妊娠していると診断され、写真をもらった。
しばらくしてつわりが始まり、眠さと吐き気でぐだぐだの体調になっていたころ、軽く出血が生じ、その後の妊婦検診ですでにお腹の中の子は死んでいることが分かった。もうすぐ母子手帳をもらうのかな、ぐらいのタイミングだった。お医者さんはちょっと前から、流産しそうかなと予想されていたかもしれない。妊娠したとわかってから2か月も経ってなかったと思う。
お腹に残しておくと負担がかかるから、摘出手術を勧められ、その通りにした。突然のことで、ただひたすら悲しかった。本当に短い間だけ、母でいさせてくれたことが有難く、切なく、涙が止まらなかった。
その一方で、摘出手術の後は嘘のようにつわりがなくなり、身も心も軽くなった。自分の体が戻ってきた感じがした。子どもを産むという大事業をせずに済んだのも何だかむしろホッとした。解放感、であったかもしれない。
流産後、しばらくはインスタで見かける友達の子ども(とくに赤子)や写真入りの年賀状がつらかった。胸の奥がグサッとくる感じ。なんだか摘出手術後の解放感とは相反する感情のようにも思えるけれど、つらさも解放感も私にとっては事実だった。
今後もし授かることがあり無事産むことができたなら、それはそれで幸せだろうなと思う。
けれども、流産以降また1年以上授かっていない。不妊治療に取り組むほどの意欲や子育て願望はないし、何より夫との生活が毎日幸せだから、このまま子どものいない生活を営んでいく可能性が高い。
ここ半年くらいで「私は産み育てる義務を免れている個体なのかな」と思うようになった。妊娠・出産することなく、夫婦で楽しく生きていく贅沢を許された人間ってことかなと。同世代の夫婦のみんながみんな子育てに翻弄されると社会がうまく回らないから、一定数、妊娠・出産しないカップルが生じるように人間はできているのではなかろうか(←適当)
「産み育てる義務の免除」という考えが降りてきてから、私はだいぶ気楽になった。