このブログでは永享4年 足利義教の富士遊覧の旅路について色々と書いて参りました。今までは遠江~駿河の一部、今川領でしたが、今回は義教の駿河入りの前段階、尾張編です。 室町殿として京都に君臨しつつも東海地方にも縁の地が沢山あるのは将軍のフットワークの軽さと実行できるだけの権力を物語っているかのよう。 まずは、愛知県一宮市にある妙興寺。 こちらは義教が富士遊覧の際に立ち寄ったお寺です。本堂に掲げられている額は義教直筆だとか。 元々は足利義詮(1330~1367)の祈願所、後
場所は移り浜松市へ。 浜松と言えばここも家康ゆかりの地ですが、義教も富士遊覧の痕跡を残してくれています。 富士遊覧の際に義教はここに立ち寄り 植えられていた松を見て 「浜松の松はざざんさ」と謳ったそうです。 そこからこの松はざざんざの松と呼ばれるようになったそうです。 風流な義教の素顔を垣間見えるような… また、浜松には足利義教の墓がある西伝寺があります。義教の死後に乳母が遺髪を埋めて供養塔を建てたそうですがこの伝承が記載された史料はわかりませんでした。。 話を
※前記事の続き。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 9月18日は駿府入りした足利義教一行は翌、19日はそのまま駿府城へ留まり、酒宴を開いて歌会をし、富士遊覧を楽しんでいたようです。 足利義教「朝日かげさすよりふじの高ねなる 雪もひとしほ 色まさるかな」 対して、今川範政の返歌 「くれなゐの雪をたかねにあらはして 富士よりいずる朝日かげ哉」 この富士遊覧では随行した公家や武家達の歌が残されている中、武家では今川範政が結構多い気がします。おもてなしする側と
※前回のつづき 義教一行は富士見平のある現在の静岡県藤枝しに泊まったのち、翌18日に駿府へ入りします。 駿府では駿河守護の今川範政の歓待を受けます。 この時、駿府城から観た富士がとても素晴らしいものであったようで義教は一首読んでいます。 義教 『みずはいかに 思い知るべき言の葉も およばぬ富士と予て聞きしも』 と富士を観たときの感動を歌に詠んでいます。 折しも駿府入りの前日には、雨が降っており、それが富士の頂上では雪であったため、今回は丁度良く雪化粧した美しい富士を
※以下の記事は以前やっていたブログからの転載です。少し文章など変わっている部分もあります。ではでは… 万人恐怖と評された将軍『足利義教』。 金閣寺の足利義満の息子で銀閣寺の足利義政の父という教科書的には地味な「その間」の将軍です。 でも私はこの義教って将軍が好きで縁の地を巡る事にしました。 永享4年(1432)9月10日~18日にかけて義教は「富士遊覧」の旅に出かけます。 実は義満も同じ旅をしていて駿府に下向しています。 表向きは富士山を観に駿府へ行く。っていう目的
記念すべき初投稿。 はじめまして。 このブログでは主に自分が周った国内の史跡巡りや博物館などについて投稿していく予定です。 小学生の頃、日本史が好きになってからこうやって国内の史跡を自由に巡るのが夢でした。 今回、史跡を周るだけじゃなくて何かしら記録に残して置きたい。というのと現地で得た知見や感想を皆さんと共有して知識を深めていけたらという思いで始めてみました。 実は以前にもJUGEMで史跡巡りブログをしていたのですがすっかり更新しなくなったのでこちらと統合しようと思います