うつほ書架 蔵書目録
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小説
ホラー・不穏
※※※※
「お姉ちゃんのせいだよ」
「えっ」
ちえちゃんは振り返って、はなちゃんがにっこりとほほ笑んでいるのを見ました。
「はな、なんて?」
「きょう、カレーだよ」
「ほんとにそう言った?」
「うん」
「ふうん」
ちえちゃんは何となく顎のあたりがこしょこしょ、こそばいな、と思いました。
きっとお母さんの味の薄いカレーと、甘すぎる玉ねぎのにおいを想像したからでしょう。
はなちゃんが後ろからちえちゃんの手をにぎりました。
ちえちゃんは顎をかきながら手を繋いで帰りました。
––––夜野楓ショートショート『その日』
※※※※
思いがけず原君の死を知ったのは、嬉しい世間話のついでだった。
初めて担任した1年4組の23番、いつも一番前の教卓に近い席にいた。
小説を題材に総合的な学習を組んだときのこと、私は小説を音読するのを途中で止めて、
「君のお母さんが年取ったらどうする、原君?」と聞いた。
「施設に入れます」
低い声だった。私は苦し紛れに笑ってもうひとり後ろの子をあてた。
「どうして?」と聞かなかったことを後で悔やんだ。すっかり彼を悪者にしてしまった。
それ以来、彼が苦手になった。
元々持っていた気後れが彼を見るたびに大きく膨らんでいった。
彼が卒業していった後も、彼がいつか私を責めるような気がしてならなかった。
彼の人生が順調であることを祈った。彼の幸せが私の安全だったからだ。
––––四宮花『ロザリオ』より一節
※※※※
「俺は六千羅果樹の中空御殿になった呪聚果の一房」
女の腹から銅鑼のような声が鳴った。
「真体が熟するまで仮の体を得なくてはならぬ。
何、貴様らに面倒をかけはせん。この女の胎を借りよう」
ふいに、女は己の指を若菜の茎のように嚙み切った。
噛み残した筋が形の良い唇の端から垂れ下がった。
遅れて、濁った血がほっそりと顎までのかたちをあらわした。
(六千羅果樹 ロクセンラカジュ / 呪聚果 ジュジュカ)
––––安西臓摩『魔胎蛇腹』より一節
※※※※
精神の冬が訪れるたびに関わる人間の数を階段式に擦り減らしていった。
不安症は笹江のふくらはぎの後ろ辺りにいつもしがみついていて、笹江が立ち止まると伸びあがりその耳に不快な音をきかせた。
何を見てもそれが死に滅ぶことを思って涙を流す。夫は毎朝起き抜けに泣く妻を見かねて、そんなのは悲観症だと言った。それでも飴細工のように停まっている金魚を見ると胸騒ぎがして、水を揺らしてみずにはいられない。
––––大蔵錠造全集収録「錠造 日々覚書」より一節
※※※※
荷物をトラックに積み終わり、身一つで新居へ向かう道すがら、
女とすれ違った。
唇まで色の褪めたまっ白い女だった。
首のうしろが一気に冷えた。白だなんて縁起が悪い。
せっかく今朝は朝から妻も快調で、子供も機嫌よく微笑み……
ハッ、としたときにはもう遅かった。
足元に広がる異様な影。巨大な、重量のある、ものが私に向かって落ちかかってくる!
上を見上げる暇もなかった。
あの白い女!
––––夢樂『シャングリラ』より一節
※※※※
僕は自分の研究室のことを不安の部屋と呼んでいる。
天井を見上げれば煤が卑猥な形を僕に示し、
洗面台の排水溝には誰かの指がひっかかっているんだ。
そして目の端に小さな君が物陰を渡っていくのが見える。
部屋中に蔦を生やして君のはしごにしたつもりだったが、
オレンジ色の粘菌が蔦をはしりまわっているので、
君は安心して生活できないだろう、でも僕はどうもしてやれないよ。
心配だ。
———奇想文学『トリ・パラ・リ』より一節
恋愛・コメディ
※※※※
アパート121号室の住人、アズマが顔を出した。白粉の匂いがした。
「あの人、あんたとは遊ばないそうよ。
それともあんた、ケッコンでも、しようと思ってきたわけなの?
馬鹿ねぇ。
清楚なんてはやんないわ」
バタン!やっぱり白粉の匂いがした。
––––ランダム恋愛小説『通話中』より一節
※※※※
「お疲れ様です!」
伊織が目をキラキラさせて走り寄ってきた。
その手に好物のしるこアイスがあるのを見て、蓮華は真っ赤な唇の端をつり上げた。
「いやぁ、チョッチ見直したあー!蓮華さんのことッ!」
「ホホホ★」
「それにしても、どうしてわかったんです?」
「私が推理したんじゃないわよぉ。枯骨庵に電話で聞いといたの」
「えーッ!?ズルだぁ!今思いついたみたいな顔して……ちょっと尊敬したのにぃ!」
「えーッ?推理は枯骨庵でも自白を引き出したあの見事なパフォーマンスは私でしょうぉ!?
尊敬しなさいよぉ!」
(枯骨庵 ココツアン)
––––「庵ミス」スピンオフ『游蓮華の投げやりな推理』より一節
SF・翻訳
※※※※
船長の指が、胸の前で或るサインを示すのを憐れなユージュは零れ落ちそうな大きい目で見つめた。
「わかったね」
船長はゆるやかに手を下ろした。袖口の金のモールが優しく垂れた。
ユージュはそのモールが一か所ほつれているのを虫のように精密なビジョンで見た。
「行きたまえ」
船長の声が種々の駆動音を細く裂いて一直線にユージュの耳へはしった。
スペース・ミラーはいまアンドロメダ星雲に突入したようだった。
「行きたまえ」
––––ジョン・クレイド作、神崎ゆう訳『スペース・ミラー』より一節
※※※※
「今の君は本当の君の何分の一なんだろう?」
ソラはそう言ってイーサを膝に抱き上げた。
「F分の一かな」
ソラのため息がイーサの黄金の毛並みを震わせた。
「N分の一かな」
イーサが寒そうに鳴いた。ソラは小さなイーサのその鳴き声が世界のどこかに及ぼす影響を考えた。
「数学をちゃんとやらなくてよかった」
世界がどうなろうとこのぬくもりを手放すよりは悲しくないのだった。
––––青い馬文庫『マジカルドラゴンと旅のはじまり』より一節
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「アキレスを引いて行列した日、遠ざかるガラス窓に泳いでいたドードー鳥の羽です」
「そ、それはすごい。こんな展示に出すのはもったいない」
「そうなんですよまったくこんな展示にするのももったいない」
「売るとどれくらいの価値になります?」
「そうですな、まず金などでははかれません。
虫眼鏡で丹念にえり抜いた小エビの二股に分かれた髭と同等ですね」
「ほう。それはあえて金額にするならいったいどのくらいの……」
「一銭の価値もないでしょうな」
––––作者不詳『ギヤマン・スタァライト・アダリの国』
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「でもね、違う世界だなんてそんなものがあるとはどうしても信じられない。鏡を押しても入れるわけじゃないし、ドアは部屋にしか、繋がらないからね。だから子供の頃に見た夢なのかもしれないと思っていた。
これを【記憶】だと確信したのは3年前。
全然知らない人を見て、その人との思い出がありありとよみがえってきたの。それがあなた。夢ではないんだと知ったわ。
その時よみがえった思い出の話を、いつかあなたにしなくてはいけないと思うけれど、許してね、勇気が出ないままでいるの」
––––解・回アンソロジー『メメント・夢』より一節
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みんな、私という女を勘違いしています。
恋人をえり好んで、猫か狐かだと思っておられるようですけれど、
うすばかげろうより儚い女です。
男性を見知ることと、そのあとの結婚には慎重にもなります。
輝きを秘めた肌はまだ磨かれず、強さの欠片もない。毒は毛程もない。
そんな人が好きです。
無菌室のような結婚をしたいわけなのです。
––––いちぢ円『白き手のイゾルデ』より一節
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「とんでもない子供だ。そんな危ないものをいったいどこから持ってきた」
「みすぼらしいばあさんからもらったんだ」
「ほう?他人の銃が使えるかな」
「使えるさ。この銃はコルトーだ。弾数たったの3発、しかもリボルバーという渋さだが、威力は抜群、お前が二人重なっても貫通するよ。安全装置を外してみせようか、ほら」
「ま、まぁお待ちよ」
「おいじじい!」
「なんだ」
「僕は今14だ」
「そうかい、俺は65だ」
「お前には何がある?」
「金さ。それっぽっちだ。お前には何があるね」
「未来だ!それっぽっちさ!死ぬか、僕の未来に仕えるか、選べ」
––––世紀末小説『銭の穴』より一節
※※※※
ほとんどの女はある時期、幻想を脱出して上陸します。
ほとんどの男は女の産み出した幻想の海から上がることはありません。
陸の暮らしはバランスの良いものです。
欲と理性が交互に与えられて、産まれた感情は水路をくだって海へ。
一つ不幸があるとするならば、安定した陸が不安定な海に依存しており、
結果として私たちは小舟のような頼りなさの上に巣をつくるということです。
––––月の人生観『10gのボール紙』より一節
※※※※
ある日アランは、神父様にボンボンをもらいました。
「ボンボンはおいしいよね」
神父様はポイ、と一粒口に抛りこんでそう言いました。
アランも一粒口に抛りこみました。
「でもね、噛んだらじわっと舌がしびれてしまうだろう。
悪いこともおんなじで、やった時はわぁっと君を喜ばせるかもしれないが
そのあとじわっと君を蝕んでいくんだ」
そうして神父様はボンボンをもう一粒食べ、
今度悪いことをしたくなったらボンボンをお食べ、と言いました。
———ハイミー・ライミ『二重底』より一節
歴史・自伝形式
※※※※
角江は男ながらに洗濯を商いとしていた。
隣近所から汚れた褌やらを桶一杯に集めてきて川でじゃぶりじゃぶりと洗う。
褌ゝ、と皆呼んだ。母の常々言うことには、父の安次は仮の名で、
誠の名は安藤虎次、磯部のお家に仕え、
お家取りつぶしのその後は塩を焚きつつ
浪人の仲間で荒れそうな連中を教え導いたという。
お前の手がいずれ刀を取るにふさわしい手になったならば、と母は言うのだった。
そこで角江は洗濯物を干す間に
百千の棒振りを己に課さぬ日はなかった。
––––『ぼてふり道中 夢窓の虎』より一節
※※※※
母に手を引かれて帰る道々、ヨシは一歩一歩に、
自分の煤けた脛を見た。
また母の手のさかむけを人差し指の腹に感じた。
「なぁ、なぁ、湯へ行ってかえろ」
屹ッとこちらを見下ろした母の目が黒く、黒く、黒かった。
ヨシの胸にまで母の悲しみがひたひたと寄せてきた。
溺れそうになりながら、それでもどうしても母に頭を下げることができなかった。
耳の襞の奥の方から潮騒が寄せて、寄せて、引かなかった。
––––瓜上芳一自伝『耳底の海』より一節
※※※※
俺の親友のマサルは宇宙人だ。
それも後天性宇宙人だ。
俺達は同じ団地で生まれ、地域の保育園で育ち、
二人ともトイレのタンクを開けるのが大好きだった。
俺はその他大勢といっしょに地域の小学校に進んだ。
そこにマサルはいなかった。マサルは私立の小学校に進学したんだという。
中学校でまた一緒になったときは嬉しかった。
中学の数学はちっともわからなかった。国語も理科も。
クラスの中でマサルだけがまっすぐに手を挙げて答えた。次の時間も、その次の時間も。
僕にとってマサルは宇宙人になった。
––––紅指大学文芸部1990年代小説集『スローリー』より一節
※※※※
鐘の音が高い塔の上から滝のようにこぼれ落ちてくるのです。
ゴォン、(冬場なら鐘が凍っていますから、コッ……です)という一つの音で6つのリンゴほどの粒で、それを9回もつくのですから、当たったら大変です。
僕はびっくりして塔の上を見上げました。
そこには年とった尼僧がにっこり微笑んでいたんです!
ちなみにその日のミサでは神父様が紫色のお衣を着ていらしたので、
僕の紫色の尼僧の悪夢はその夜から厳かに僕を訪れました。
––––アラン・ドロワ告解録『僕の見る世界』
※※※※
幼い私が見上げた空はあんなに四角かったでしょうか。
その頃の私が熱心に説くことには、
空はガラス天井できていて、
だから爆弾なんて破裂した日にはみんな目がつぶれてしまうでしょう。
ガラスを破ったその先は、虹色の鱗の大きな「りゅう」が
尾をぴるぴると震わせながら飛行しているのです。
痛む腰を伸ばした見上げた空は、ビルに区切られて四角く、
あの日より遠く見えました。
––––杏實新聞連載「帰郷して、のち」より一節
※※※※
パパの歯ブラシで間違って歯を磨いて悲鳴を上げました。
ボンボンを噛んだら金歯が外れました。
階段を下りたらガムを踏みました。
そんな時、隣にあなたがいて、酸っぱい顔をして笑いだすこの幸せ。
この先にどんな不幸があっても、この幸せを忘れることはありません。
わたしの守護天使が、いつもこの幸せを灯して、わたしを慰めてくれるでしょう。
––––ロン・セシリア・リリー『花束』より一節
詩・歌
※※※※
夜道いけばしろき灯に
ざざくれた
ザムザざざ虫
腰折れた
海老折れつづら
夜道いけば
どぶ泳ぐ
狸の背には
蚊の群れのおよおよる
家の名つらつら
街の灯はしらしらと
帰るでもなく夜道行けば
––––詩集『がざい』より一節
※※※※
この夜に君の枕を我知らず。
恨めしきは君の渡りしタラップと
フツリ途切れた紙テープ。
君と我とを隔てつる大きなる海許すまじ。
この膚も脱げるものなら脱ぎ捨て。
燃ゆるいろくづをまとひ。
君の元へ渡りたし。
あるひは我が身を舟と変じ
君を掬ひていっさんに帰りたし。
––––往復書簡「君と隔てのある日々は」より一節
※※※※
カーテンを開けて思うの
夜働けばいいんだ私は
朝は寝ていたいなら
考えてみたならば
夜だけ働いてる
街灯の首こり
朝になれば
なおるらしい
ねんねんころを
唱えてねむるなら
電燈の笠の上の埃は
霞のように降りかかる
はらばらりばいをらはる
––––芸術×詩集『文字の輪郭』より一節
※※※※
世のすべて為るその日
天より矛くだり
君の御體つらぬけり
かなたなる緑のくらに
みましどころをしつらへ遠く拝み見む
悪しき舌の地の面、霊魂を舐めつくす時
海なるもの大いに殖え
守護せむといふ
天降り来る日までみましどころの
ゆするぎもせず
––––『ナイチェル聖歌集』より一節
※※※※
思い出す 重ねる服なく うす絹の
心をいくつも重ねたる冬
君去るか 我も去ると 意気込んでも
後ろ髪引く パン祭りのマグカップ一対
暑い日は 重宝するね 君が残していった
ハンドファン 見たくもないけど
急な手紙が来て 驚きました
それだけで筆が止まってやめた返信
––––りん子歌集『四季、恋有りて貧し』より一節
※※※※
題「幸」
寒空君のすくめた首愛らし
腕を圧す鯖寿司の重さ分の幸
題「凛」
蜻蛉羽緩やかに流れてきらり
柄長鳥みたく地面に立つおにぎり
––––梅が枝会 冬句集『破風』
※※※※
熱池の夢より醒むれども、
いまだ熱き沙場より起きず。
帰りなば、さらの樹のかげに君立ちぬ。
すくりと立ちぬ。
涼しげなる風の道、君我を招きたり。
我が右に老病あり、
我が左に悩痛あるときも、
君の足元には愛を番わせ、
君の頭上には夢を憩わせ。
––––作者未詳『とわの君』より一節
※※※※
君に伝わるチャネルにしたい
ラディオのつまみは故障中
君と同じ眼鏡がほしい
限定販売 品切れ中
僕には何にもねぇや
真っ赤に塗ったスピーカーで
叫び散らすだけ
君は楽しくないよな
俺だって楽しくないさ
––––DogRaM作詞集『RING A LONG』より一節
※※※※
夜の曲がり角––––
【存在】
長い信号に焦れてぬるりと曲がる車/産卵にのぼる鮭
眩しすぎるハイビーム/雪に映る自動販売機
【非存在】
ランダムな点滅/太陽の砂嵐
両方揃って落ちている手袋/雄雌寄り添って死ぬ蜘蛛
踊り/北へ後退する夜
––––『××寮の落書き』より「情景と比喩の交換」
※※※※
そり遊び。一人でそりから投げ出されたときの、ゆっくり涙の湧き出る感覚。
雪の日。ラルーがつららが落ちるのを丸い目でじっと監視している。
黄色いタクシーに緑色のジャケットを着たドライバーが寄り添って立ち、サラダボールのよう。
病院。病院の壁は隙あらば狭まってきそう。看護師さんがたくさんいてよかった。
こどもが咳をするたびにこぼれるのは、母親に話したかった今日のできごと。
––––スーザン・タイ『わたしのメモ帳』より一節
随筆・エッセイ等
※※※※
マーケットの朝はいずれも感慨深いものでしたが、
ひと際私が惹かれたのは古着屋が商品を積み上げる様子でした。
古着屋が何気なくやってのけた「かさね」は素晴らしいものでした。
褪せた空色と白とグレイのポロシャツ類の上にマーブル柄のTシャツを重ね、その隣には黒と灰色と紺のジャケットをたんと積み上げ、
ジャケットの山の上に蛍光色のスニーカーをのせ(!)、
思い出したように隣の山にレインボーカラーのTシャツをぐっと押し込みました。
その作業ができあがった時の、バベルの塔を見たかのような興奮。
私があの古着屋で見た「かさね」の美学には、平安美人も梶井基次郎もきっと舌を巻くことでしょう。
––––皿田徹随筆集『ロンダールにて』
※※※※
僕がデビューした当時、世間は空前のアイドルブームでした。
え?何年だって?この本の表紙をぺろっとめくったらそこに書いてありますよ。
僕が好きだったのはヤッパリ亜里沙ちゃん。
亜里沙ちゃんのどこがすきだったかって、彼女の作るステージです。
客席の真上にガラス板を張って歩いたり、ステージでポニーを乗り回したり、引退ライブでは火炎放射器で幕を燃やす演出、マジシャン顔負けのド派手なアイドルでした。
––––老野出鱈目『出鱈目のタラ目刺し』
※※※※
ワタシ昔から声の事なんか褒められたことなかったけど、地元の公民館で司会をやらされた時だったかな。
おばあさんに「あんたの声は良く聞こえる。綺麗。」って言われました。知らないおばあさんだよ。二人。
それからでした。ワタシの夢、Vtuberになったの。声優は学校行かないとなれないかなと思ってやめたんです。
Vの絵の値段っていくらぐらい?とかまとめサイトで調べたら最低10万?って書いてあったから、それが貯まったのが高校三年生の時でした。で。
機材はとりあえずASMR用のマイク買ったのね、めっちゃたっかくて親に超怒られたんだけど。
で配信はじめたらさ、声がうるさいって言われました。
マイクが悪いのかなって思ってあのー、安そうなマイクに変えたら、めっちゃ好評だったの。
ほら、いわゆるマイクみたいなやつ。手持ちの。
––––野野宮ゆめ空想自伝『100人まではダイナミックマイクで十分だった』より一節
※※※※
友達って話聞いてくれるからいいんだよね。
医者とか行くの疲れんじゃん。緊張して何も話せんわけよ。
友達なら話せるわけでしょ?聞き流してくれりゃいいのよ。
「他人にそんな話してどうなるの」って言う奴がいるんだわ、そりゃもうごっそり。
しかも顔見せて言わないんだよねぇ。SNSなのよみんな。
どうもならねぇよ。でも話する以外にできることなんかないんだから。
つらいとかじゃないんだよ。
これ言われたら、おしまいだよ。もうどこでも安心できない。
––––トラウマコレクション『言われたら小指切る』より一節
※※※※
良人–おっと–
未婚の若い女から見る既婚の男。
たいてい、父に似たところがまったくなく年下をかわいがる。
そして一度目の結婚で、
今まで見てきたものが家の外で見せる仮の姿であることを知るのである。
賢い–かしこ–い–
①人の話を黙って聞くことができる。
②趣味は浅く広い。
③物を貰うときはお礼を言うが、相手と目を合わさない。
【関】→付き合いがいい
––––「嘘」事典『オメデタ』より一節
※※※※
私は先生によって目を開かれました。
中でも、私を驚愕させたのは「折り目」の話でした。
先生は紙を折って私に言いました。この折り目を折り戻してみてください。どうなりますか?
私は言いました。折り目がひろがって、しかも紙が弱くなりました。
先生はその折り目をさすって言いました。
一度人についてしまった折り目は戻りません。折り返しても、弱るだけです。
この衝撃を私は忘れません。同じことを言うのにいろいろの言い方を先生は試みましたが、私にとっては石を投げたらどうなりますか?より、折った紙は戻りますか?という聞き方が効果てきめんだったということです。
この折り目が、もっと早いうちに見えていたなら。
これが日々思うことなのです。
––––天ヶ瀬進エッセイ『折り目を返す』
※※※※
通称「カッサ」には会えなかったが、その弟分と名乗る男とインターフォン越しに話すことができた。
「ジャーナリストか」
「ジャーナリストです」
「銀行爆破にはカッサは一切関与していない」
「ではその前のバスジャックはいかがですか」
「最近の数件は我々も全くの心外だ。我々の名を名乗って悪行を繰り返す奴がいる」
発音に若干の東南訛りがあり、私は彼の出身地を半ば特定することができた。
彼、そしておそらくカッサのねぐらのランタンはすべて赤く塗られて暗かった。
––––ユルナヴァ最前線ルポ『不夜城』より一節
※※※※
教養をつけることは彼の喜びでしたが、ひとたび手に入れた教養をあからさまに身にまとうことを彼は恥じました。
つい教養が口に出て、伝わらなかった時の空虚が彼を不幸にしました。
彼は望んで痴人になったのです。
しかし、無邪気に透き通ったその瞳は彼の周囲の人を脅かし、
またもや彼自身を不幸にしました。
ここにいるのが一番幸福だと今は思っているようです。
––––『(不適切認定)』より一節
※※※※
夏の光は白く葉にわだかまり、そう、もう夏だと思う。
上に伸びた緑の美しく映えるその下には、色付きティッシュのように枯れたつつじが植え込みにひっついている。どうしてあの紫の色はまだありありと残っているんだろう。
つつじ、五月の死に残る。
そんな言葉の浮かぶ午後。
——赤毛マリア『夏の偶像』より一節
※※※※
白いワンピース、縁だけが黒い帽子をかぶり、髪は、結ばずに黒髪を肩甲骨の間にしまい込んでいたと思います。そのすべてが五月の陽ざしに透き通っていました。傾いた帽子の影で目の辺りは見えそうで見えず、口元も見えるはずなのに見えず……そういえば、その女が足を動かしているのを私はほとんど意識しませんでした。滑るような動きでした。その女は白杖を持っていました。
————井賀筒治『五月のひと』
伝承・民話
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「辛抱して待っていて御覧、じきに、ライチの身が堅く苦くなった頃、河の水は温み、スタァフィッシュの大産卵が始まる。
そうしたらカササギの群れが、銀河から流れ下る三千のスタァフィッシュを一心についばむ。
カササギの翼を踏んで金の鞍をのけた馬が君のところへ行くだろう。その馬にのって鞭を一度ふるえば君は自由の身だ」
––––ホライゾ民話集「ほらの奥のドド」より一節
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