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クルド語を調べて…日本人には想像不可能なこと

家の近所は街はずれということもあり、日本人の移動は自動車か自転車が主体で歩いている人はほとんどいません。
私のように杖を突いて歩いている人、ジョギングをしているご夫婦。それとクルド人と思われる母子。
平日の昼間にクルド人男性を見かけたことはありません。この点から子供を妻に預けてしっかり働いている、と見て良いと思います。家の近所では、足場を組んでの外装工事をしているのをよく見かけます。
「怖くて道を歩けません。」などというデマが流されていましたが、
通常、日本人は歩いていないのです。

現在クルド人に関する、デマ・煽り記事がネット上で数多く見られます。現地人の私としては、危険な運転をする乗用車は時折見かけるものの、他には大きな問題はないと考えています。歩道を占領して遊んでいる子供達も一時はいましたが、きちんと指導してあげればなくなるものと思われます。
一部の落ち目の政党が候補者に票を集めるために活動している節があるので、選挙後、状況がどうなるのか静観していきたいと思っています。

そこで今、道行くクルド人と呼ばれている人々が何語を話しているのか判別できないものかと考えた訳です。私は外見でクルド人かトルコ人か見分けることはできません。
日本人で外見から西アジア、南アジアの人々を見分けられる人はほとんどいないと思われます。
本当にクルド人なのかトルコ人なのか…。
クルド語を話しているのか、トルコ語を話しているのか…。
市役所の外国人対応でも、トルコ語はありますがクルド語はありません。トルコ語を強要されていると考える人々には苦痛でしかないと思われますが、公用語ですから、トルコ国内で教育を受けていれば理解できるということです。

クルド語とトルコ語の基本語を知れば、ある程度その言語の発音などの特徴から判断できるのではないかと、と思い立ったのです。



まったくの初心者なので、以下おおよそ私が理解できたことの説明・報告とご理解ください。

まず最初に図書館にあるクルド語入門の本を見てみました。

縄田鉄男著「クルド語入門」大学書林
??? 表記にアラビア文字が使われています。
トルコでは、トルコ語もアラビア文字からラテン文字に変更されていて、
トルコのクルド人の言語もラテン文字表記です。
イラン・イラクにおけるクルド語(ソラーニー語)のものだと判りました。
これでは目的のものと違ってしまいます。

ネットでいろいろと検索してみました。日本語のものだけでは心許ないので、英語の日本語翻訳を読んでみたりして…。

クルド語は大きく、北部、中央部、南部の三つに分けられていることが判りました。
北部は「クルマンジー語」、中央部は「ソラーニー語」、南部は一括した名称は一般的ではなく、地区ごとの変化が大きい、とありました。

トルコ国内のクルド人は自らを「クルマンジー」と称し、ラテン文字表記の「クルマンジー語」を話します。
イラン・イラクで使われている中央部クルド語が「ソラーニー語」と呼ばれ、アラビア語表記なのです。ちなみに南部クルド語もイラン・イラクに広がっています。

元来は同じ言葉を話していたのに、異なった文字で読み書きしなければならないのです。

日本でこの状況を想像してみると、ある県では「かな」だけで日本語表記をして、隣の県では「ローマ字」で日本語を表記しろ、と言っているようなものです。これでは他県に行っても看板すら読めません。

クルド語の「ラテン文字表記」は補助記号を使うか使わないかで複数の体系があり、「アラビア語表記」にも複数の体系があるようなのです。
日本語の「かな表記」、「ローマ字表記」どころではなく、「かな」に「新かな」、「旧かな」の違いがあり、「ローマ字」に「文部省式」と「ヘボン式」があるようなものです。
これでは出版どころか、文字の使用も安定せず、いつまでも話言葉レベルに留まってしまう、ということになります。
これを憂いている人々は、共通言語として英語などを学ぶしかない、ということになります。

トルコでは一時期クルド語が禁止されていた時代もあったようですが、現在では学校教育の最後の一年に履修するようです。
しかし、クルド人の人口はトルコ全体の人口の一割ほどもあり、州によっては人口の過半数をクルド人が占める地域もあるようですが、公用語とはなっていないのです。
トルコ、イスタンブールは歴史的に世界の交易の十字路のようなところです。
異民族の言語は30近くあるそうなので、トルコ語以外を公用語とするとなると、どの言語を採用するかの線引きが非常に困難になります。

クルド人の居住する、全体の地域を指して「クルディスタン」といいます。
イラン、イラク、シリア、トルコなどに分割されているクルド人は、それぞれの国ごとに文字体系があるようです。

このため、現在では同じクルド語と言われていても、方言の差が大きくなって、国外のクルド人とは簡単に意思の疎通ができないようです。
国を跨いだ連絡・交流がどんどん難しくなってしまいます。

それぞれの国のやり方で処遇しているではないか、という言い方もできるかも知れませんが、統一を阻害するためにやっている、という形に見えなくもないのです。暴力的ではない、文化的な迫害。
これを迫害と捉えるかどうかは、人それぞれだと思いますが、難しい問題です。

一般の「少数民族」の概念とは異なり、一国にすべて内包されるものではないのです。それが非常に厄介で「少数派民族」とでも言い換えたくなってしまいます。

先ほど、クルド語が「話言葉レベルに留まってしまう」と書きましたが、これを日本の歴史から考えると「読み書きそろばん」以前の状態だということになります。
これでは高い教養・常識が共有されるべくもないのです。

元々悪意はなかったとしても、善悪ではなく損得を基準に動いてしまうので、各所で軋轢を起こしてしまうというのは必然なのです。
日本社会に放たれるには、ある程度の指導・教育が必要なのです。


日本人には、この状態は非常に想像しにくいと思います。

日本には1000年も前に、世界最初の長編小説といわれる「源氏物語」ができているのです。
内容は、簡単に言ってしまえば「恋愛小説」のような卑近なものです。
ですから、読者は当時の知的エリートのみ、とは言えないのです。
多くの人々が読む、という言語体系がもう出来上がっていたという事なのです。

中国に関しては、上記で少し書きましたが、遡ればメソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」など文学作品の例もありますが、世界の言語の中でも日本の言語体系、文字表記はかなり進歩していたということなのです。

しかも江戸時代に広く寺子屋で常識・教養を学ぶ初等教科書として使われた「実語教」、「童子教」というものも1000年近く前には存在しているのです。

世界を見ると、戦後になって文字・教育の普及が始まった地域も沢山あるのです。
このことが判れば、「何で一帯一路とか、中国のあのような提案に多くの国々が乗ってしまうのか?」ということが理解できます。
中国と同レベルの国家だということです。

日本の方が余程、特殊なのです。

クルド人も例外ではないのです。

段階を追って教養・常識を理解してもらわないといけない人々なのです。
そのことを全く理解せずに日本に呼び込んだ人たちが問題なのです。


そんなこんなで、とりあえず YouTube のクルマンジー語→英語を、
少しずつ見たり聞いたり書き写したりしています。
いつになったら解答が得られるのやら?


お読みいただき、ありがとうございました。








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