さみしさを手放す
ずっと胸にしこりのように残っていたことを、この日思い切って母に打ち明けた。何も言わなくていいから、ただ聞いてほしいと頼んで……。
わたしは三姉妹の長女だ。すぐ下の妹とは2歳、末の妹とは5歳の年の差がある。
ふたりの妹は口をそろえて、母をほめたたえる。
「こんな優しい理想的なお母さんはいない」
でも、わたしはそうは思えない。
母の愛は、わたしの求めている愛と、カタチが違うのかもしれない。甘え下手でうまく愛を受け取れなかっただけ、なのかもしれない。
先日、母からセピア色の写真を手渡された。
わたしが1才の時の写真。
まだ母や父の愛情を独り占めしていたときの。
写真の母は若くかわいらしくて、はちきれんばかりの笑顔だ。となりで父そっくりのわたしも笑っている。こんなときがあったのだ、とちょっと泣きそうになる。
すぐ下の妹は、幼いころ病気がちだった。母は、いつも妹を心配していたし、気にかけていたように思う。しばらくして、その下にまた妹が生まれて、母はもっと忙しくなった。
だからなのか、わたしは姉らしく、しっかりすることを、小さい頃から望まれた。
お姉ちゃんだから、しっかりしなさい
お姉ちゃんだから、がまんしなさい
お姉ちゃんだから…
わたしは望んで、お姉ちゃんになったわけじゃない。
がんばっていた、と思う。小さいわたしは、母の期待に応えようと、なんでも自分でやることを覚えた。甘えられない、子どもでもあった。
本当のわたしは母のすぐ隣で寝たい。
わがままだってきいてほしい。
けれど、お利口さんでなくてはならないと、自分にいい聞かせてきたのだった。
だって、お姉ちゃんだから。
母は、
「あなたは手のかからない、いい子ね。」
とほめてくれた。
それはさみしい言葉。これからもずっと、手がかからないように、しなくてはならない。
喧嘩の絶えない妹たちをしかったり、諭したり、わたしは小さなお母さんでもあった。
妹たちにとって、出来過ぎお姉ちゃんはかなり重荷だったようだ。大人になってから、ようやく打ち明けてくれた。ちょっと、申し訳ない。
母が恋しかった。
ずっと、恋しかった。
ようやく素直に、その気持ちをいえた。
わたしは、
わたしのなかの「小さなわたし」を
そっと抱きしめる。
ずっとさみしかったね
がんばらなくていいよ
甘えていいんだよ
そんなあなたが大好きだよ
「小さなわたし」が泣きながら笑ってる。
気づくと、わたしも泣いていた。