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ゆったりと笑顔で

 新聞で吃音(きつおん※)に関する記事をみつけた。

 幼子の吃音を地域で連携して診断し、治りょうにつなげようという臨床ガイドラインが、日本国内で初めてつくられたというもの。

 わたしも吃音持ちの1人。幼いころ、言葉がつっかえてすんなり出てこないときがあった。

 けれど、それを指摘されたり、なおされたり、という記憶はない。周りの大人が、ゆったりと笑顔で話を聞いてくれたから、わたしはおしゃべりが大好きになった。

 幼いころのわたしといえば、話したいことが胸いっぱいにあって、忘れないうちにあれもこれも伝えたかった。それなのに、焦る気持ちとはうらはらに、口の動きが追いつかない。それで、よく言葉がつっかえた。

 成長するにしたがって、口の動きはスムーズになり、言葉がつっかえる回数はへっていった。大学の授業で吃音を学び、自分もそうだと気がついたころ、それはほとんど気にならない程度になっていた。


 吃音って、なおさなくてはならないもの?

 困っているのは、誰?


 話し手が言葉につっかえたとしても、聞き手に話の内容は伝わるだろう。聞く人がほんの少し待ってくれたら……。話し方がおかしいとからかうことなく、ただそのままを受け取ってもらえたら……。

 聞く側に心の余裕がないとできないことだろう。スピーディーで無駄がないことが良しとされる昨今、待てない人が増えているような気がする。みな同じでなければならないという、暗黙の決まりごとの存在も感じる。

 吃音というラベルを貼りつけられた幼子が、緊張しながら話す姿を想像すると、胸がきりきりと痛む。話すことを嫌いになりはしないだろうか。

 話すことが苦手なら、別の手段だってある。筆談でのやりとりだっていい。絵を描いたっていい。ただ、相手に気持ちが伝わればいいのだから。

 わたしが変えてゆきたいと希うのは、聞き手の受け取りようだ。

 幼子のかわいらしい話。その子の伝えたいという気持ち。それを大事にし、誰もがゆったりと笑顔で受け取れたなら……。

吃音 きつおん 言葉をなめらかに言うことができず、つかえて同じ音を何度も繰り返したりすること         岩波国語辞典第八版より

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