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当たり前のように
ある春の日。
「危ないよ!落ちたら流されちゃう。今日は流れが速いから。」
川に身を乗り出す子に、思わず声をかける。5歳くらいだろうか。パッとこちらを見て、その子はなにもいわずに走り去った。
うちの子どもたちはあきれ顔。
「知らない子でしょ。なんで声かけるの?」
「ははらしい。でも、他人のふりしたくなった。」
立ちどまってわたしは子どもたちにいう。
「決めているんだ。いうべきときには、きちんというの。わたしは、さっきの子に溺れてほしくない。ときには叱ること。大人のつとめ。」
こう思えるようになったのは、今は亡き伯母のおかげだ。
伯母は、わたしの父より年がひとまわり上。父にとっては母のような存在だった。伯母には子がなく、だからなのか末の弟の父を気にかけ、姪であるわたしたち三姉妹も大事にしてくれた。伯母は自分にも他人にも厳しい人。説教するために来ているのかと思うほど、幼いころから叱られどおし。会うたび、憂うつになる。
それなのに、大人になってもわたしは折をみて遊びにいった。しばらく会わないと、なぜだか伯母の顔が見たくなる。
会いにいくたび、伯母は目を細めて迎えてくれた。
「よぉ来たなぁ。ほら、お菓子があるよ。食べやぁね。どれ、お抹茶をたてましょうかね。」
ある暑さがのこる秋のこと。
伯母はサッと、のちの世に旅立ってしまった。そんなに急がなくたっていいのに……。
伯母に会えなくなってから、あるときふいに気がついた。ここ数年、誰からも叱られていない。叱られなくてよかったとは思えず、寂しさで胸がいっぱいになる。
そうして、ハッとした。「誰かを叱ること」がいかに難しいことか。自分の子に対してだって、なかなかに気力がいるのだ。伯母はそれをずっとやり続けてくれたのだった。我が子ではないわたしたちに。ごく当たり前のように……。
「ありがとねぇ、伯母さん。」
ツバメ飛び交う空に向かってつぶやく。
4月は伯母の誕生月。