第一子妊娠の記録①│激務の中で妊娠判明し、つわりでダークサイドに落ちる。
もう数年前のことになりますが、これから何回かに渡って、第一子の妊娠判明~出産までのことを書いていこうと思います。
(※昔書いていた日記ブログを少し加筆修正しています。)
今回は、妊娠判明~妊娠初期のころの話です。
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激務の中での、妊娠判明
20代後半。そのころ私は、仕事でとても忙しい日々を送っていました。
朝はギリギリまで寝て、朝ごはんもゆっくり食べずに出社(もしくは現場に直行)。帰宅するのは基本的に夜9時以降、遅い日だと日付が変わってから。
出張で一週間自宅にいないことも。
休みの日は体力回復のため、基本的に寝て過ごす。
妊娠がわかったのは、そんな生活が「ちょっとしんどいなぁ…」と思っていた頃でした。
仕事自体は好きでやりがいもあったのですが、体力的に辛かった。
当時、疲れた体を引きずって出張から帰って家のドアを開けるとき、「仕事やめようかな…」とちょっとよぎったことを覚えています。
今思えば、妊娠超初期の身体の変化で、疲れやすかったり精神的にも落ち込みやすかったのかもしれません。
当時すでに事実婚をしていて、いつ子どもを持ってもいいとは思っていたのですが、思いがけずの妊娠だったので驚きました。
嬉しさ半分、戸惑い半分というのが正直な気持ちでした。
私は当時、小さい会社である程度責任のある仕事を任されていたので、早めにまずは会社の人事担当の方に伝えました。(その人も一児の母で、とっても喜んでくれた。)
その時点ではまだつわりもなく、「とりあえず仕事たくさんあるし、体力仕事は控えるにしても、このまま普通に働きます~」と呑気なことを話していました。
つわりが始まり、仕事に支障が出てしまった
しかし、その後1週間くらいするとつわりが始まり、仕事に支障が出てきてしまいました。
人事担当の方が親身になって相談に乗ってくれ、急いで目先の仕事を周囲に引き継ぎ、1ヶ月間まるっとお休みをいただくことになりました。
入院するほどつわりのひどい方に比べたら、常時二日酔いか車酔い、という感じの一般的なレベルではあったと思うのですが、中途半端に出社したり休んだりするより、しっかり休みをいただいたほうがいいと思ったのです。
(ちなみに休みの期間は、「傷病手当」という制度を使って給与の約2/3を保険から支給してもらうことができました。)
つわりで一ヵ月の休職
それまで忙しく仕事をしていたので、ずっと家にいてベッドに横になっている…というのは精神的にとてもつらかったです。
もちろんつわりで気分が悪いために気持ちも沈みやすい、というのはあると思いますが、
「自分は社会の役立たずだ…」
と涙を流すこともあり、完全にダークサイドに落ちていました。
たぶん、妊娠うつとか、マタニティブルーとか、そういうものだったのだと思います。
この頃よ、く「つわり」「仕事」「休む」でネット検索して某知恵袋サイトとかを見ていたのですが、
「つわりで仕事を休まれると迷惑」という意見を見て落ち込み、
「子どもを第一に考えて休むのが大切!」という意見を見て励まされてました。
つわりが治まり、働き方を変える
でもなんとか、休職1ヶ月間の終わりごろにはつわりも治まって、それまで現場や営業の仕事だったのを、事務系の部署に異動して仕事復帰できました。
休養・復帰にあたっては、「会社を辞めたほうがいいのでは…」と思い悩んだこともありましたが、お休みをいただけたこと、復帰後の仕事内容を考慮していただいたことで、会社を辞めずにすみました。
本当にありがたかったです。
仕事も急遽の引き継ぎとなったので、たくさんの方に迷惑をかけてしまいましたが、ただただ、「すみません&ありがとう」という気持ちでした。
(続きます)