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【映画感想】枯れ葉

おすすめされて観た映画。
アキ・カウリスマキ監督を初めて知ったがフィンランドの巨匠らしい。

「枯れ葉」という題が、とても秀逸で美しく感じる。登場するのは、社会という樹から捨てられながらも、懸命に自分を守りながら生きている人々。
劇中のほとんどのシーケンスに「物を廃棄する人」と「それを拾う人」が繰り返し登場し、それらが循環しながら絡み合い、寄り添い合う。
表情がほとんど変わることのない人々を、自分自身の孤独さと重ねてしまい、胸が苦しくなりながらも希望を覚えることができる。静かで文学的な作品だった。

捨てられる者、拾う者

スーパーで賞味期限切れの商品を廃棄する仕事をするアンサ、それをこっそりもらう人々。
本来廃棄する予定の食品をくすねたからって、社会には何の影響もない(むしろSDGs的にはいいことしてる)。
しかし、それがバレた時、まるで自分自身が”賞味期限切れのモノ”になったかのように、アンサたちはあっさりとクビ=捨てられてしまう。

そしてレンタルPC店では、「パソコンは消耗品ゆえに高級である」という皮肉を言われながらも、転職先を見つける。
転職先のパブは、社会に希望を見出せない無表情の男たちがたむろする。パブは「捨てられたものを拾う者」の象徴だろう。
その厨房で彼女は、コップを洗う仕事に着き、ホラッパと再開する。

ここでは、社会から捨てられた男(ホラッパ)を拾い、コップを洗う(=再利用、見捨てない)という二重のメタファーが機能しているように思える。

アンサは仕事のなかで「捨てる」「捨てられる」「拾う」「拾われる」・・・
を無表情に繰り返しているのが印象的だった。

ホラッパはアルコール依存症であり、土木作業員。
作業場では、産業廃棄物を淡々と投げ捨てている作業員が映される。ホラッパは、作業用の機械が2時間おきに壊れるので、破棄して交換して欲しい、と上司に苦言をいう。
また、彼が吸い続けているタバコなんか特に「使い捨て」の最たるものである。
作業者として使い古されている彼も、ずっとモノを消費し続けている。

まさに社会という大樹から切り離されたような「枯れ葉」である2人は、カラオケ屋で出会い、パブで再開し、恋に落ちる。
ホラッパはアンサから貰った電話番号を、タバコを取ろうとして無くしてしまう。しかし2人の誤解を解くきっかけになったのも、映画館で待ち続けた男が落とした「タバコの吸い殻」であった。

美しすぎる構成。

笑顔

またこの映画の中でもう一つ重要なものは「笑顔」だと思う。劇中の登場人物は極端に「笑顔」が少ない。
ゾンビ映画を2人で観終わった後、彼女は「こんなに笑ったのは初めて」というが、その爆笑しているシーンすらカットされている。
その彼女が唯一心から笑っているのは、「処分」の対象だった犬を拾い上げて一緒に暮らしているシーン。

その後、「捨てられた物同士」である2人と一匹が歩いていくラストシーンでは、犬の名前が人々に笑顔を与える喜劇王「チャップリン」であることが明かされる。

なんという拍子抜け。かわいい。

「捨てる、捨てられる」「拾う、拾われる」というモチーフのメタファーの連続でこの映画は構成されている。
孤独を抱えながらも愛する人を見つけ寄り添い合う人々、傷つきながらもなにかを捨てながら前に進もうとする人々を「枯れ葉(Kuolleet lehdet)」と題する。
その枯れ葉が寄り添って重なった時、人は笑顔を取り戻す。

なんて美しい表現なのだろうと思った。

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