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宇宙の細胞膜

以前文化人類学者の島村一平が単細胞生物の死の瞬間を捉えた映像を、引用RTしていた。

死とは、自己と世界の境界がななくなることだということがよくわかる。よく考えれば、人間だって放っておけば肉体が腐り、微生物によって分解される。死とは、自分が世界になることなのかもしれない。

映像では死んだ単細胞の細胞膜が破れて中身がドロドロと溶け出し、シャーレの中の溶媒と一体化していた

シャーマンが薬によりトリップして宇宙と繋がる、みたいな映像を映画とかで見るけど、身体という「細胞膜」から解放されるということは疑似的な死を体験しているのかもしれないし、
それを見ている我々もテクノロジーによる世界との精神的・物質的つながりを作り出すことが可能になってきている。死という概念も変わってくるのかもしれない。

ドゥーガル・ディクソンの「マン・アフターマン」では、未来の人類が肉体を全て機械に置き換えて精神だけの存在になる「テック」という生き物になっていた。

そういえば以前宇宙に行く夢を見た。
すごく気持ちよかったからまた見たい。

おやすみなさい

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