不思議と最近、本を読むようになって、見える景色が違って見えてきた。 世の中には、いろんな価値観がある事、人の気持ちを掴む話の組み立て、どれも自分にないものをくれる。 別にあってもなくても支障はきたさぬものだけど、あれば、間違いなく、視点が深く、文章をいろんな工夫して、惹きつけてみたくなる。 今この時期に、こんな時間が生まれるなんて、夢にも思わなかったけど、本を読むようになって、寄り道こそが、人としての深さを生み出すのだと思うようになった。 なんで言うか、寄り道しないで、
「こんにちは。」 出迎えてくれたのは、今日はMintoという会社の水野さん。 「ならば、正直に全部、そのまま話せますね」 そう彼が言ってくれたのは、僕がその経歴に言及したから。 どういうことかというと、 僕が、ファンシーショップ紙というキャラクター業界新聞で、古くはライターをやっていて、EC業界メディアのECのミカタの編集長をやっていたので、 デジタルも、キャラクターライセンスも両方に理解があるってことで、あまり細かな事を考えず、ざっくばらんに話せますね、ということでし
僕は、メディアをやっているから、今年の一年を予想してほしいみたいな、切り口で、講演のオファーをいただく。 それはそれでありがたい話だが、そのあと、懇親会にも呼ばれて、僕は、zoomの画面を呆然と眺めていた。こんな言葉が聞こえてきたからだ。 「この2年間は最高益」 「うちは、あと5年で50億円」 勝ち組と言われる人たちの中で、講演している僕はきっと負け組だ。 確かに、ここの人たちよりは情報を知ってはいるけど、教える側で良いのだろうか。俺、ここにいていいのか?と。 会社
リハビリ病院に。ここに来ると、体の不自由な人は結構いるんだなと思う。大変なのは自分だけじゃない、頑張ろうと思った。
明日という日が来るのがどんなにか有難いことか。怖い明日だってある。まだ見ぬ明日に不安は不要だ。どうであれ、明日という日は来る。僕はどこへ向かうのだろう。前向きに、次の明日がちゃんと迎えられるように現実と向き合うだけだ。 泣きたくなる夜もぐっとこらえて。
何気なく空を見る。 ただそれだけでも人の心は癒される。 自然の光、それも人にとって大事な要素。
「ここは一本道なのね。それはそれで何が起こるかワクワクする」 そう言われて、ハッとしました。先日、同じくチームラボのミュージアム「ポーダーレス」の時は、見渡す限りの映像が境目のなく映し出されていたのとは対照的だと感じました。 この日やってきたのは、豊洲にある、チームラボのプラネッツです。入り口から長く続く一本道には小さな明かりが灯されるのみ。その下をパシャパシャと少し勢いのある水が流れるわけだが、周りに何もない分、意識の全てが水の感覚に持っていかれます。 そして、見るだけ
足元を流れる水。 到底、美術館では見られない光景に、 え?となる。 裸足になってくださいと言われたけど、「結構、ガチなんだね」なんていいながら、でも前へと進む。 今日はチームラボのアートミュージアムでも、豊洲にある「planet」の方だ。 ボーダレスとは違って、暗い一本道を歩かされるが、これはこれで、何が起こるんだろうと、あれこれそわそわしながら、進むのだ。 足がとられて、前へと進まぬ所や、一面、水が膝丈まであって、暗く、美しげな魚がユラユラと泳いでいたりもする。水は
アートアクアリウムに行きました。 足を踏み入れると、暗いフロアに、うっすらとライトアップされた水槽が浮かびあがります。ライトは青や赤で、金魚は舞台の演者のように動き回ります。 ふと思います。金魚って何故にこんな形をしているのだろう。そして、金魚って赤を基調としてるからか、アーティスティックな存在に、僕には映りました。 溢れ出す水も艶があって、小さな波を作っては模様を描いていて、神秘的です。 水の中に泳ぐ金魚は、水槽の湾曲とレンズが生み出す、いつもと違う姿を、見
壁の絵に向かって、サッと手をかざすと、手のまわりに壁に描かれた魚がひとまとまりになって集まってきて動きを変えると、あっ、と顔を見合わせる。 壁の絵が僕らに合わせてる。 やってみたほうがいいと言われ、僕もやってみると、僕も胸が高鳴り、何が起こるのだろう何が起きているのだろう、と、好奇心を持って、その壁を見る。 すごいねと。 ここはお台場にあるチームラボが提案するミュージアム「ボーダレス」。それこそ、いろんなアートがボーダレスに展示されている。 人工的な谷があって、そこに
先日は、チームラボ・アートミュージアム「ボーダレス」に行ってきました。 入ると一面、幻想的な赤い花がたなびき、まるで夢の世界に入り込んだような気持ちになります。 人工的に作られたデコボコが映像と重なり合って、 山から流れるしなやかな水の流れを演出してくれます。 そのてっぺんで写真を撮っていると、 思いがけず、本物の子供達が登るハプニングに、微笑む。 しかし、写真で見ると子供達すらも神秘的に思え、不思議な空間です。 ランタンがいくつも並んでいる空間では、 ゆっくりと色が
達×達をみて、なかにし礼さんの言葉に感銘を受ける。 作詞の意味、迫力を知った。歌詞が持つその力強さが、胸を打ち、そしてヒットのきっかけを作っていく。すごいと思った。 中でも、印象に残ったのは、「今まで戦争での経験を外には出さずにやってきた。でも、作詞の中で、それを意識して、恋歌を作ってみた」というくだり。 悲しみや苦しみを歌の中に込める。まさか、歌を聴く人は、それが戦争体験に着想を得たものであろうとは誰も思わないが、でも、そのリアリティは詩の中でしっかり生きている。
昨日は、何年かぶりに、僕の新卒時代に入った会社の人と会った。もう何年経つだろう。 ここに人生を感じる。 当時取引先として仲良くさせていただいていた人が、そこそこ大手の会社の執行役員になっている、と聞かされた。 けれど、あの時と変わらぬ、ポジションでいる人もいる。 この差は、どこにあるのだろうと考えると、ひとえに、「チャレンジ」なんだろうな、と思った。 チャレンジすれば、必ずしも、誰しもが今より良い立場になるとは、限らない。 けれど、現状維持のままでいいや、と言えば、
やっぱり大好きなASKAさんのYouTubeを見ながら、やっぱりすげぇなと心に響く。あんな事を起こしてしまった人でも、僕にとっても偉大な人。期待しているんだよね。あんな事になってもなお。 彼を信じていいのか、でも今曲を出して、再生への一歩を歩んだことに期待をしている。結局、彼には、それが似合っているということなんだ。 そして、僕の心を動かしているように、多くの人の心を動かしていて、同じ思いで彼を待ちわびている。それが人が存在する、答えなのかも、しれないね。 人が求めるから
東京へと戻る、じゃあねの時に、先日、親子3人で行ったオールディーズのライブの時の写真を拡大写真にして、父に見せた。病魔が襲い、どこにも出なくなっていた父が外に出た貴重な時である。そこには親子3人とバンドのボーカルの女性が写っている。 3人でお出掛けしたという事実も、3人で写る事も、出歩くのがめっきり減り、もうこの瞬間は来ないのかもしれないという予感のある今となっては、この写真とこの写真を通して、楽しい時を振り返られたのは、本当に、本当に、貴重な宝だ。 うんうんとうなづき、大
色々後悔もして思う。「優しさは勇気」だ。色々思い悩んだりもして、何がいけなかったのかと思って、気付いた事がある。僕はこの何日間か、受身だった。父が言い出したら行こうと。今回は休みが長く取れたおかげで、それで待ってて、貴重な時も生まれた。けど、昨日父がやりたい事がしてあげられない時、何とかしてあげたいという想いが今日「それ、やろうよ」と声がけする事になった。 どう思うだろうとか、色々考えたけど、でも、そしたら、「昨日は身体が動かなかったからなあ」と素直な言葉が父から返ってきた。