ウクライナ:CIAの75歳の代理人 ⑶
ウラジミール・プーチンは、ロシアの指導者として、経済を立て直し、多くのオリガルヒを抑制し、ロシア国家への信頼を回復させ、はるかに優れていることが証明された。折しもウクライナでは、米国は2004年の大統領選挙にウクライナをロシアの影響から引き離すチャンスを見た。
高官によるウクライナ訪問とともに、米国は、政権転覆組織、全米民主化基金、USAID、フリーダムハウス、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ研究所(現在の財団)、そして常に存在するCIA、その他の複数のチャンネルを使って介入し、ロシア寄りのヴィクトル・ヤヌコヴィチの選出を阻み、親米新自由主義のヴィクトル・ユシチェンコを大統領に就任させた。
米国の援助により、ユシチェンコは勝利したが、大統領としては惨めに失敗した。2010年、ヤヌコヴィチが大統領に選出されると、米国は再び火災報知器を鳴らした。このとき、ユシチェンコ氏はリーダーとして完全に信用を失い、第1回投票では5.5%しか得票できずに落選した。米国は勝者を選ぶのに苦労した。
キエフのマイダン (広場) で平和的に始まった 2013 年から 2014 年の反政府抗議活動は、米国国務次官で政権転覆の専門家であるビクトリア・ヌーランドが、街頭を訪れ、またクーデターの陰謀者と繰り返し会ったことによって煽り立てられた。彼女とともに、ジョン・マケイン(アリゾナ州選出)とクリス・マーフィー(コネチカット州選出)の両上院議員は、ネオナチのリーダー、オレグ・チャニボクとともに広場のプラットフォームに立ち、おそらく正式な認可なしに、ヤヌコヴィチの不法打倒に対するアメリカの支持を申し出た。
今回、CIAはロシア寄りの大統領を排除するためにより全面的に関与し、マイダンで警察と抗議者の狙撃と虐殺に参加した極右民兵集団の準備を助けた可能性が非常に高く、ヤヌコヴィチは逃亡を余儀なくされた。ニューヨーク・タイムズ紙は、この銃撃をヤヌコヴィチ政権によるものと虚偽の報道をした。その結果、ロシア系住民の多いドンバス地方で政権転覆への抵抗が起こり、キエフのクーデター政権による襲撃を受け、2022年までに兵士と民間人14,000人の死者が出た。
ペトロ・ポロシェンコは、2014 年に米国の支援を受けて大統領になるまで、キエフの米国大使館で定期的に情報提供者を務めた人物だが、2022年6月の欧州記者団とのインタビューで、在任中にロシア、フランス、ドイツとミンスク協定に署名し停戦に合意したのは、軍備増強と戦争準備の時間を稼ぐための策略であると述べた。「我々の目標は、まず脅威を止めるか、少なくとも戦争を遅らせることであり、経済成長を回復させ、強力な軍隊を作るために8年間を確保することでした」と彼は言った。
プロパガンダ戦争
バイデン大統領をはじめとする公職者は、ロシアの動機が単なる領土侵略であると特徴づけるために、「いわれのない攻撃」という言葉を繰り返し使った。このようなクレームをつけて、確かな証拠もなくプーチンという名前を出すだけで、彼やロシア国家に関するいかなる発言もただ発言であるだけで証拠として十分確立するかのようなのだ。
問題は、多くのオブザーバーが指摘しているように、メインストリーム・メディアが、国家と支配階級のコンセンサスを国内外へ伝達して増幅する道具としてしか機能していないことである。ウォーターゲート事件のジャーナリスト、カール・バーンスタインが報告したように、冷戦時代の大半において、MSMの400人以上のジャーナリストがCIAの目となり耳となって働いていたことが判明しているため、もちろん、これは何も新しいことではない。少なくとも一部のジャーナリストは、CIAエージェントのメッセンジャーとしての役割を果たし続けているという証拠がある。
ワシントン・ベルトウェイ(政府中心部)のインサイダーたちは、何が挑発行為にあたるかを理解するのに問題がある。ウクライナとグルジアを加盟国のリストに加える計画を含む、敵対的な米国とNATO軍の拡大とロシアの門前で行われた軍事演習は、明らかに挑発である。そして、バイデンの記憶が少しでも残っていれば、ケネディ政権が西半球にソ連の軍事基地が一つ(キューバに)存在することを米国の安全保障に対する脅威として扱ったことを思い出すはずである。その場合、ソ連は引き下がる賢明さがあった。
米国の傀儡であるポロシェンコ大統領でさえ違憲(=違法)と認めた2014年のマイダン・クーデターと、その後の同政権によるロシア語の禁止、公共機関やメディアにおける民族浄化の呼びかけは、挑発行為だ。2015年から始まった、米国が武装・訓練をつけたネオナチのアゾフ大隊が扇動するドンバス地方での軍事攻撃もそうだ。ロシア侵攻の直前、キエフは分離独立したドネツク州とルハンスク州との国境に大規模な部隊編成を敷いた。
ロシアの同盟国であるセルビアに対して米国が行った78 日間の爆撃に続くコソボの分離は、ワシントンの全面的な支持を得たものだが、クリミア離脱を招く先例となった。ロシアの侵攻に先立ち、ヴォロディミル・ゼレンスキーは、ロシア語を話すウクライナ人の声を代弁していると非難された野党を権威主義的に粛清し始めた。ポロシェンコとゼレンスキーはミンスク協定の遵守を拒否した。これらもまた挑発行為だった。
実際、ソ連とロシア国家の主権を破壊しようとする米国の取り組みの75年の歴史は、尽きることのない挑発なのだ。シリアやセルビア(そして中国)のロシアの同盟国に対する米国およびNATOの攻撃、ベラルーシ、セルビア、グルジア、ウクライナなど旧ソ連地域における「カラー革命」、そして拡大する対露制裁のリストは、さらなる攻撃の形態である。MSMが実際には国家のプロパガンダの道具として機能していることの理解がなければ、この最近の歴史におけるMSMの健忘症を理解するのは難しいだろう。それはルイ・アルチュセールがイデオロギー国家装置と呼んだものだ。
ノーム・チョムスキーはこう表現している。「アメリカの言説で、この侵略を〈ウクライナへのいわれのない侵略〉と呼ぶことがほとんど義務づけられているのは、非常に興味深い。Googleで調べると、何十万件もヒットする。もちろん、挑発されたのだ。そうでなければ、いつも『いわれのない侵略だ』とは言わなくていいだろう」。チョムスキーが十分な説得力を持たないのであれば、米国とNATOの戦争屋は、明らかにロシア愛好家ではないフランシスコ法王の、このように認めた言葉に耳を傾けるといい。この侵略は「ロシアの門前でNATOが吠えた結果・・・・・挑発されたのかどうかは、私は言えませんが、おそらく、イエス」。
ロシアに対するMSMプロパガンダの大洪水と、2014年のクーデターとロシア・ウクライナ紛争に関する公式ストーリーに疑問を呈する声の禁輸は、米国の民主主義が見習うに値しないモデルであることを暴露している。米国ほど、報道弾圧が大規模で制度的に定着している権威主義国家は、ほとんどないのだ。
防衛産業とつながりのある元軍人や諜報部員が「専門家アナリスト」として放送局やケーブルニュースチャンネルに広く出入りしていることや、MSMのレポーターが白人至上主義のイデオロギーを使って避難民のウクライナ人を「価値ある犠牲者」として特別扱いしていることは、別のところでも述べたとおりだ。
著者 ジェラルド・サスマン PhD.
ポートランド州立大学教授(国際・グローバル研究科)、ハワイ大学/マノアおよび東西センター、Branding Democracy: US Regime Change in Post-Soviet East Europe (2010)など著書多数
掲載 CovertAction Magazine
CovertAction MagazineとCovertAction Quarterlyは、ニューヨーク州で設立された非営利組織 CovertAction Institute, Inc. のプロジェクトである。
1978 年から 2005 年まで発行された雑誌の全 78 号の完全なバックナンバー セットはこちら。
翻訳元 https://covertactionmagazine.com/2022/09/12/ukraine-the-cias-75-year-old-proxy/ "Ukraine: The CIA’s 75-year-old Proxy"