見出し画像

1つ1つ

オープン的に発信出来る場所でいかに言語化して思考のモヤモヤを吐き出せるのか

日常の記録として残して大切に文章等にしたいという気持ち

Twitter ツイキャス note等今ではこうして複数の媒体を使って分散化はしているが、やはりあくまでも分散化 どこまで表現するのか どこまで書き留めて記録として残していくのか考えながら文章を書いていく

自由に書いていても誰かしらの目に止まる可能性
誰かに分かってもらいたいとか、そういう事ではなく何となく読んだ人が共感して 
「あ〜自分以外にも似たような気持ちの人がいた」そんな事もまた
「伝える」「伝わった」と人との繋がりにも変わっていくのかもしれない

言葉 会話 対話とは本当に難しいもので
たった一言で相手に伝わるニュアンスでガラリと捉え方も変わって悪い方にも変化してしまう

しかし自分の意思は伝えたい、だからこその言葉選び
気持ちの持ち方 受け取り方 色んな物が組み合わさって形になる

*
社会復帰という形はまだ出来ていないものの 
色んな事に一喜一憂している

果たしてこの常に窮地に立たされている状況は抜ける事が出来るのだろうか?
自分なりに、もがきながらも何とか進んでいる様な道
一難あってはまた一難
一難去る事もなく積み重なる問題ばかり 心は重くなり 身体もずっと痛みは残る だけどボロボロになりながらでも しぶとく生きる

*
3月末には久しぶりに姉ちゃんの帰省 姪と甥にも会えた
本当に子供達の成長は早いもので姪は優しくよりお姉ちゃんらしく
甥はハイハイからもう歩き回るようになっていて驚き
歩いてる姿がまた可愛くて可愛くて3人で手を繋いで一緒に散歩をした

今回は今までより長く滞在していたので多く遊んだり、喋ったりした
姉ちゃんには姉ちゃんの悩みが、それはやはり今自分が生活している環境下ではなかなか愚痴れない内容だったりする

姪と二人っきりで遊びながら何か困っている事とかない?って聞いた時に
少し悩んだ顔をした後に
「う~ん大好きなシルバニアファミリーで遊ぶ時は(甥)が寝ている時に遊ぶんだけど、起きたら可愛く並べてたお家も全部ぐちゃぐちゃされちゃうのがちょっと寂しいかなぁ、、、しょうがない でもね(甥)が可愛いから良いの」
それを聞いてしみじみと「いつもありがとうな」そう言って頭を撫でた

姪も嬉しそうにニコニコしていた その後にまた一緒にシルバニアファミリーで楽しく遊んだ

姪は遊んでいる最中に俺の両手首の傷跡見た後に擦りながら心配そうに
「痛い?大丈夫?」と聞いてきた

「う~んちょっと痛い時もあるけど、こうやって一緒に遊べるのが楽しくて痛みなんて忘れちゃうよ ありがとうね」

子供達はどんどん成長していく、とてもとても眩しい
その眩しさは嫌な物ではない 今の自分にとっては希望のような気もしている

一緒に過ごしていた数日間、毎日のように見ていた悪夢を1度も見なかった
朝起きて下に降りると元気におはようと挨拶してきて足にしがみついてくるそれがまた愛くるしくて スクスクと大きくなってなと願う

新潟から帰ってから姪は「また新潟に行こう」「今度はいつ行ける?」と姉ちゃんによく聞いているらしい

もし時間が取れれば夏休みに行けたらなとも言っていたのでそれを俺はまた1つの楽しみに

毎回会うたびに沢山の思い出と笑顔をくれて

ありがとう🍀


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?