正しさとは一体何だったんだろう?①
6月9日第1回労働審判
この日に辿り着くまでに約2年、怪我をしてから約3年
こんなに時間がかかるなんて思わなかったし、こんなにもしんどい思いをしながらこの日が来るなんて思わなかった
この記事もあくまでなんとか一区切りの場所まで来たというダイジェスト的なものだ
全部書こうと思ったら本当に切りがない
でもその中でも書き残しておかなければいけないと思う物がある
事の始まりは約三年前の労災事故から始まる
この大きな事故に遭うまでには劣悪な労働環境の中で働き続けていた
いつ事故に遭うかわからないような危険な現場、日に日に酷くなる社員からのパワハラ
毎日自分はなんのために生きているのか、はたして今日も無事に家に帰れるだろうか?
出勤するたびにこのままどこかに逃げてしまおうか、消えてしまおうか?
そんな事を思いながら過ごしていた時に起きたこの事故
人1人の人生をガラッと変えてしまうそんな出来事
でも自分がこの数年で実感してきた事は本当に自分という存在はこの大きい世界の断片的なものなんだなって事
あんなにも痛い思いも辛い思いもしても、それはどこかで報じられてるわけでもない世界の片隅で起きているんだけど、その本人達にはとても大きな出来事
そんな時間は自分の価値観をまた変化させるには大きな出来事
労働環境を少し上げてみる
高所では命綱など足場を組むなど無し
機会(大型プレス機)が稼働中でもその真上に登って部品の交換
無免許のフォークリフト運転者が操縦するパレットの上に乗りリフトを上げた状態で作業
これはほんの一例
パワハラに関しては
早くお前落ちねえかな
お前が死んでも誰も悲しまねえよ
死ね 殺すぞ お前は生きているだけで罪だ
こんな言葉はまだまだ優しい方だ、今日は何を言われるのかな
もう聞くのも疲れたよ、、、
心身共にゴリゴリと磨り減っていく
その流れの事故だ、人生山あり谷ありとはいうが
この事故だけでも相当な試練だとは思っていたけど退院後も試練の連続
ここまで追い詰められるもんなんだなって事ばかりが起きて
キャパオーバーだよ、、、、ばかやろう、、、、ってボヤきたくもなる
まずこの事故もいろんな事が重なって起きたのは事実
どうしても何らかしらの形で話はしなければいけないそう思っていた
そして退院後に会社に損害賠償を請求する為にも弁護士さんに依頼をするまでも一苦労だった
知り合いからの紹介で電話をして最初は話を聞いてくれていたと思っていたのに、会社の名前を出したら「あーそこの会社とは関われません」と断られた
後でその理由がわかった
その会社の社長がその弁護士と繋がっていたり組合の役員をやっていたりと地元ではそれなりの権力が使えるという事だった
じゃあ地元じゃなくて違う街の弁護士さんにも依頼をしてみた
だけどその弁護士さんもまともに相手してくれなかった
そんな中たまたま地元の広報で目にした記事、市役所で弁護士無料相談があるという事で親と一緒にダメ元で足を運んだ
その時に限られた時間の中、相談に乗ってくれた弁護士さんがこの依頼を受けてくれる事になる
これで弁護士さんを挟みながら労働審判への話し合いがスタートしたが、この後に物事は順調には進まない事だらけなんだなと痛感する