ただし#1
社内のある幹部が、見方によっては、
それって犯罪ぢゃね?┓( ̄∇ ̄;)┏
という、社会的弱者を侮辱するような
行動をした。
その名は、ただし。
頭はバスケットボールのように球体。
つるっとしたハゲの波平。
被害者は毅然とした対処をした為、未遂に終わり、全く無事だったのは幸い。
あ、被害者とは、この私です。
最近の報道では、耳にすると心が痛むニュースが数多くあるが、それと同類だ。
コイツなら、、、コノ女なら、、、
あるいは、
ココでなら、、、
誰もみてないし、、、
どうせバラされないだろう
という類いの、愚かなる、あるまじき行い。
私は、このことを一人で抱えるにはしんどくなり、ある日、同僚の信頼できる先輩に、思いきって打ち明けた。
当時、同居していた父からのモラハラにずっと苦しんでいました。
同居といっても、妹家族と折りが合わなくなった父が、居候のような形で私たちの住まいへ転がりこんできたという状況です。
もちろん、私自身、依存がありました。
2人の小さな子供を抱えたシングルマザー。
まだ、サロンを開業したばかりで収入も充分でなかったこともあり、たとえ少しでも、経済的にも助かれば、当時はその方が良いと判断したのでしょう。
父が穏やかだったのも始めだけです。人はそう簡単に変わりません。徐々に本性が現れ、やっぱりなぁ、こうなるか、、、という始末。
それでも経済的な心細さや不安を、たとえ少しでも軽減できるなら、ガマンしてがんばろう!
少しぐらい暴言を吐かれたり、暴れても、私さえ、我慢すればなんとかなる!という歪んだまま、そこから抜け出せない日々。
ある友人からは、それはまるで、ストックホルム症候群だと言われた。確かにそうだったかもしれない。
父のモラハラは日に日にエスカレートする。
そんな生活を振り返れば、7年程続けていた。
私は7年間、毎晩、耳栓をして、部屋の鍵を閉めて就寝していた。夜中に父が錯乱状態になって暴れたり、テレビの音量を大きくして、テレビを見てむしゃくしゃすると、部屋に入ってきて叩き起こされることもあったからだ。
もう心身ともに限界がきていた私は、当時、年配の信頼できるお立場にいた、ただしさんに、相談していました。
ただしさんは、大手企業の元人事ご担当でした。
定年退職後は、地元の中小企業に顧問として籍をおいていました。
そこでも、人事経験を活かして、会社の立て直しや、人材確保、そして、社員のカウンセリングや面談を行なっていたそうです。
かつて長年勤務していま大手企業で、OBやOGも集まる会食会があり、そこで、ただしさんと再会したことが、身の上相談するようになったきっかけでした。
私は、サロンの経営難についても、相談していたこともあり、やがて、この、ただしさんが顧問を務める中小企業に中途採用で採用されることになります。ここの正社員として、働く事になったんです。
初めは、そこの社長さんの許可も得て、サロンの経営も、継続してダブルワークをしていた。
そのうち、サロンは、色々先の事を考えた上、たたむことにしたのでしたが、
その後は会社員として働いていくことで、生計を立て直せるよう、がむしゃらに、ガンバりました。
ただしさん曰く、
「あとはいよいよ、お父さんとの決別ですね!」
「このままズルズルとしていたら、この状況から抜け出せませんよ!勇気を持って、立ち向かいましょう!」
口頭では、父は話の途中で発狂したり、いつまた錯乱状態になるかわからない。
そこで、考えたのは、手紙を書いて渡すという方法。その手紙の作成を、ただしさんに文の構成もアドバイスしてもらいながら、一緒に手伝ってもらったのでした。
ただしさんは、いわば、親戚の叔父さんとか、学校の担任の先生とか、私にとって、そういう信頼できる存在でした。
実際にお孫さんもいらして、奥様とも仲睦まじく、ウチの子供たちのことも、ご夫妻が焼肉屋さんに連れて行ってくれて、ご馳走してくれたりととても良くしてくださるお方でした。
その後、無事にモラハラの父と決別でき、父自身も一人暮らしをする決心をすることで、新たな生活スタイルを迎える事になりました。
ちなみに、父とはここから約2年間、音信不通にし、私たちが引っ越した先の住まいも明かさず、連絡を取らないようにしていました。心を鬼にして。
このモラハラ実父とのエピソードは、別枠でいつかお届けするとしまして(^◇^;)このくらいで割愛させていただきます。
父との問題が解決方向へ向かい、私はすっかり、穏やかな本来の日常生活を取り戻し、目の前の、小さな幸せを喜び、実感する事が徐々にできてゆきました。