「言わない」のは美徳?なのに「積極的に発表しましょう」って学校では言う
長年社会人をしてきて、ずっと思っていることがある。
「どうして他の人は意見を言わないんだろう」
「私も同じこと思ってた、って後から言われることが多いけど その人は言うことに伴うリスクは背負わなくていいんだなあ」ということ。
学校という現場では、生徒たちに意見を言わせておいて、間違いやちょっとズレたことを言った人がいたりすると その人を責めるというか、不必要な羞恥心抱かせる雰囲気を作ってしまう場合があると思う。生徒は傷つくのが嫌なので、「わかりません」とだけ言って、傷を最小限に抑える。
先日の研修で、まさに大人たちがこんな感じになった。講師が答えた人を責めるようなことを言っていて、雰囲気が悪くなってしまった。あんなふうに言われるなら発言しなきゃよかったと思うほどの責め方である。意見を言わなかった人は、ずっと黙ってて、後で「私もあの人と同じことは思ってたけど」と こそこそ言い合ったりする。講師と言い合いみたいになった人のことを、あの人もムキになったから、みたいな見方をする雰囲気。まったくの他人事のように振る舞う。「はいそうですかって、素直に従えばいいのに」「黙ってたら恥かかずにすんだのにね」みたいな。
人前での発言はリスクを伴うのだ。それは学校での生徒のほうがよほど分かっている。だから、「わかりません」って言って自分を守るんだ。
学校でのダブスタ。「発言しましょう」って言いつつ「間違いを許さない」雰囲気を作る。そして、その仕組みを作り出している大人たちも、自分たちが発言を求められる側に回ると、リスクを避け、黙り込む。
大人ってずるいよなあ。