年齢を重ねること〜どんな大人でいようか〜

私は、自分が大人になることはないだろうと思っていた。それは、長生きできないという意味だったり、きちんと社会生活を送れる気がしなかったり。実際、二十代前半までは、危ういところが多かったが。

大人になっていくのがあまりに怖すぎて、社会に出る前から、社会生活で失敗する夢にうなされる程だった。親が、社会なんてつまらない、結婚なんて人生捨てるもの、仕上げに「あなたは飽きっぽいし、能力的にもいろいろ苦労しそうね」みたいなメッセージをくれる、「親切」な人だった影響は、少なからずある。全く幸せそうには見えなかった、大人の姿が 日常の中にあった。

大人は、子どもに希望を見せたい。真剣な背中を見せたいものだ。
こんな生き方があるんだ。こんな考え方があるんだ。へえ、すごい。
そう思ってもらいたい。

先日、娘に勉強のことや、進路のことを聞かれて、自分が仕事の中で知ったことを話したら、あっという間に時間が過ぎていった。娘は「こういう話、したいと思ってたんだ」って言った。仕事で進路相談に乗っているような気分だけど、目の前にいるのは、ちょっと前まで赤ちゃんだったはずの、よちよち歩いてたはずの、自分の娘だった。嬉しかった。
ランドセルちゃんじゃなくなって、あんまり踏み込み過ぎないようにしようって思ってた。私自身忙しすぎて、結果的にあんまり構ってなかった。
聞かれたことに答える嬉しさ、頼りにしてもらえる喜び。そういう喜びを味わうことができたことに感謝の気持ちが沸く。

やっぱり、「すごいな」「この人に助けられたな」って思ってもらえる自分でいたいな、とちょっと思った。でしゃばるのは好まないけど。
困った時にはこの人に聞こう、辛い時にはこの人にちょっと助けてもらってもいいかなって思ってもらえることは、嬉しい。その時に、自分の持っているものをちょっと差し出すことができたら。相手の持っている素敵なところに目を向けることができたら。相手の元気が少し蘇る何かができたら。

年齢を重ねることに希望を持ったことは 今までなかった。
でも、誰かのために役立てたと思えたことは、年齢とともに自分がこつこつ作り上げてきたものだった。

年齢を重ねて、「ありがとう」が増えていくのなら、人生は味わい深いものになる。

自分の関わった人が、勉強や、仕事、家族ができることは 楽しみが増えるのだと思ってくれるように、いろいろなメッセージを送り続ける。それは 大人の大事な仕事のひとつ。

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