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誰かを助けたいと思っていたけど〜まずは自分を生きればいい〜

*今日は、読書や手帳・文具ネタではありません。

 最近、家事や勉強が捗ることが楽しくて、嬉しいなと思っている。そして、それで十分だなあと思うようになった。

自分がどこにいるのかわからなかった

家庭環境が過酷だった人にとってよくあるのが、自分の気持ちや感覚が自分の手からこぼれ落ちている、あるいは、そもそもそんなものあるんだろうかということではないかと思う。思っていることをうっかり表現すると、痛い目に遭うので、いつしか自分の感覚を封印するようになるのだ。その結果、常に世界の中で迷子として生きるし、迷子になってるから、また怖い目にあったりもしたかもしれない。

人の言ってることや本に書いてあることがわかる嬉しさ

「学生の頃のあなたはいつも心ここにあらずって感じだった」と友人に言われ、確かにそうだったかも、と思った。いつも目の前のことに集中できなかった。自分の感覚そのものは大事にできなかったが、場の状況を読んだり、相手が私を怒ろうとしているかどうかということはすごく考えていた。
最近になって、安心して目の前のことに集中していいのだということがわかってきて、少しずつ頭の中がすっきりしてきた時、いろんなことがスムーズに進む楽しさを味わうことができた気がする。

「同じ状況の人を助けたいです」ということの構造的欠陥

今から書くことを感じたのは私だけかもしれないけど、まあ、このnote自体、自分のために書いているものなので、書いておこう。
かつて、自分が自分を回復させる必要があると気づいた時、モチベーションとして機能したのは「いずれ同じ状況の人に役立つ、あるいは虐待者側に気づきのきっかけとなることを伝えられるようになりたい」という思いだった。
ところが、それらしいことを他人に言って、よい手応えを感じたことはなかった。
たとえば、このnoteで「自分のような人を減らしたい」って言ってみたり(noteでは言ったことないかも)、あるいは、「私にはしんどい状況にある人の気持ちがわかるんです」と誰かに伝えたところで、本当に「助け合うべき人とつながる」状況にはあまりならない。以前は私の伝え方に問題があるんだろうと思っていた。
(逆に、「あなたを助けたいです。かつて私も同じ思いをしました。あるいは今もそうです」と自分が言われると、「いや間に合ってます」って思うこともあった。どうやら、私が望んでいるのは、「しんどい自分」「誰かに助けられて同情される自分」じゃない自分を生きたいということかもな、と思った。特に、めっちゃメンタル不安定な人から「あなたは私の仲間だって思えます」って笑顔で言われた時は、「そんなに私って不安定に見えたんか」とびっくりした。そう、「問題なく生きてる自分」に、私はきっと憧れてた。)
だからかどうかわからんけど、受験勉強のコツを成功者が伝える、ようなケースと違って、サバイバーが生き延びるコツを伝えるには、なんか別の伝え方が必要なのかもと思った。
受験のゴールは志望校合格。なので、合格した人のいうことを真似すると受かるかも、って他人に思わせることが可能。
サバイバーのゴールは。。。自分を生きられること?だとすれば、まだ葛藤の最中にいる私が誰かになんらかのコツを伝えるっていうこと自体、構造的に成立していないわけだ。

今はただ、日々を慈しみたいし、それがたぶん大切なこと

奥平亜美衣さんが、「まずは自分がいい気分でいることが大事」とよくおっしゃっているけど、ほんとにそうだなと思う。あるいは藤本さきこさんが「設定変更」ということをよくおっしゃっているけど、これもそう。
「いつまでも虐待された自分で生きるのか」と言われて衝撃を受けたことがあるのだ、と知人が教えてくれた。
かつて、私の気持ちを救ってくれた人の中には、その人自身が過酷な経験をしていた人もいたけど、そのことを知ったのは、たまたま話の流れでちらっと知っただけで、最初からそういうことを前面に出してきたのではなかった。その人の性格や考え方に、ただただ私は勇気をもらったのだった。その人の生き方そのものが、たまたま私に元気をくれた、そういうことだった。
であれば、今の私も、いろいろなことを少し取り戻せた喜びをまずは味わっていたらいいかなと思う。土台がガタガタなので、またひょんなことから不安定になることもあろうし、更年期ならではの不調に振り回されることだってあろう。そんな中でどんなふうに気分良くいられるか、それをまずは大事にすればいい。

困った時には、趣味や手帳、日々のことが支えになる

読書や手帳、文房具を楽しむだけで気は紛れる。お風呂にじっくり浸かる。それでいいのだと思う。まずは自分を大事にする、それが大事なんだろうなあ。
そう、忘れてはいけない。困った時には、吉本ばななさんの本があるではないか!救済とは、私にとってはばななさんの本なのだったな、と改めて思い出したのだった。

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