見出し画像

育てる〜手間をかける、見守る、引き出す〜

名選手、名監督にあらず
と言われるが、本当にそうだなと思う。

人を育てるということは、自分のペースと違うものと向き合うことだし。

話が少し逸れるが、「カリスマ性の高い指導者」が苦手だ。別の言い方をすると、指導者自身の個性が際立っていて、オーラが強すぎる指導者が苦手。

これまで見た中で、そういう指導者が「私が誰それを育てた」ということを声高に言うことがあって、それに違和感を覚えたからだ。優れた指導者が優れた選手を育てたケースはよくあるが、しかし、「私が」が強すぎる指導者には 何か違う、と思う。主役は指導者じゃないと思うから。

その人自身はストイックに仕事をするけど、育てるのが上手じゃないなと思う人は、しばしば「しゃべりすぎる」傾向がある気がする。「背中を見ろ」というタイプを肯定する気はさらさらない。ただ、指導者がしゃべりすぎているとき、満足しているのは指導者だけということがあるのだ。相手が指導者の言葉を吸収していないのである。

指導の仕方にはいろいろあるが、やはり 指導者側が、指導対象をよく見て、待ったり、声をかけたり、本人にアウトプットしてしゃべらせたり、ということの塩梅がどれだけ巧みにできるか、というのがポイントの一つではないかと思う。

そのためには、指導者自身が、対象にかける、見えない時間、手間、エネルギーがものを言う。向き合っているときは、既に相手について いろいろ思いや考えを巡らせているはずなのだ。もちろん、直接対話を重ねるうちに見えるものもある。が、その「見える見えない」も、それまでにどれだけ思いを巡らせたかに左右される。


育てる、とは 指導者が自分の伝えたいことを 満足いくまで伝えまくることではない。相手の可能性をいかに引き出すか、いかに本人に自分の本質に気づかせるか、そういうことの積み重ね。だから、結果なんてなかなか目に見えてこないものなのだ。

根気強く、日々 丁寧に関わるしかない。
そして、信頼関係をいかに築いていくか。

いいなと思ったら応援しよう!