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もうだいじょうぶ ありがとう

もう、だいじょうぶって 思っていいかな、というところまで これた気がします。
前回 人のつながりを偽る人とは 今後 関わらないと書いたのは、今後 二度と自分を大変な目にあわせないための決意のようなものです。

大切な、どうしても伝えなければならない言葉は、絶対に言えないくせに、自分をよく見せるためなら、歯の浮くような言葉を言えてしまう人の弱さを見抜けなかった、そんな自分が悪いのだと思いつつ、とんでもない屈辱を味わったことから、
著名な方の突然のご不幸の報に触れるたびに、自分の足元がぐらつく、ということを何度か繰り返してしまいました。
今回も、このような「もうだいじょうぶ」という言葉を書いた後に、ふっと力を失ってしまうことになりやしないか、と何度も躊躇したわけですが、私の周囲の人が、とんでもなく、のんきな表情で、私をお茶や食事に誘ったり、ちょっとしたことで頼ったりしてくれるうちに、「ああ 生きてるな」と、のんきにお皿を洗う毎日を慈しむことができるようになったので、うん、もう だいじょうぶって書こうと思ったのです。

どんなに いいことを言ってくれても、一方で、自分の心を打ちのめすことを平気でできてしまう人とは絶対に離れた方がいい。そのことを 真剣な言葉で伝えてくれたのは、以下の文章です。途中から有料ですが、途中まででも 力のこもった言葉に出会うことができます。この文章に書かれてあることは、いじめや、夫婦関係などにも当てはまるのだと思います、きっと。

私は、その人の行動を、一生許すことはないと思います。誤解されては困りますが、その人の存在を許さないのではありません。行動を許さないのです。自分にいかなる事情があろうとも、人の心を傷つけることを笑いながら言う、あるいはするという、その選択を許さないのです。そういうことを一度してしまうと、その後、それを取り繕うような行動や、あるいは、さらにエスカレートした言動に走らざるを得ないのです。

みっともないのを承知で、私は、自分の思いを、あれこれ脚色しながら、noteでアウトプットすることを選択しました。もし、内に抱え込んでいたままだったら、今頃 私の心は本当に折れていたかもしれません。
私の重い文章に「スキ」を押してくださったり、コメントをくださった方、本当にありがとうございます。読むのが嫌になってしまった人も決して少なくはないだろうと思いながら、自分の思いをしつこいぐらい書いてしまいました。もちろん、私の、もう短くはない社会人としての経験や家庭での出来事、大好きな音楽のことも書いてはいましたし、完全な創作もたくさんありますが、ここでアウトプットする目的のうち、大きいものは、現実の日常生活で自分が抱えるものの重さを少しでも軽くすることだったのです。

その人と完全に離れるためには、あと少し時間が必要です。ですが、もうすっかり遠い存在にはなりました。その人と関わる必要も全くありません。


なんとかやってくるなかで、いつの間にか、私は歳を重ね、キャリアを積み、いつの間にか他の人を指導するような位置にいました。そして、コツコツと重ねてきた暮らしというものも、私の力そのものになっていると思ってもいいところまではきた、と思えるようになってきました。

これから、大好きな仕事や、おうちのことを楽しむ日々を送ろう、と思います。そのなかで、綴る言葉をここに出す必要がないと思うのか、それとも、仕事で言葉を扱う以上、やはり今後も言葉を綴っていきたいと思うのかはわかりませんが、なんせ 日々のくらしを慈しんでいきたいと思います。

ここで繋がった皆さん、これからもよろしくお願いします。ありがとうです。

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