自分にしかできないこと 自分だけのものではないもの(追記あり)
自分が頑張ったことを、他の人が気づかなくても、自分がわかってあげられていたら、それでいいと思うんです
ある本でこんな言葉を見てハッとした今年の7月。
今年の夏は、いつもよりゆったりと穏やかな気持ちだ。
就寝時刻が遅くなる日がない。
睡眠時間を確保できている。
ここ数年、8月末は健康診断、それと自分だけで外出する日を1日設けるようになっていた。山や海を眺めて、おいしく昼食をいただくと自分の心のリセットになるのだ。ところが、去年は健康診断こそ受けたものの、疲れすぎてて外出の日を設けなかったらしい、と昨日になって気づいた。
去年と一昨年の仕事を振り返ってギョッとした。どうやったらこれだけの量をこなせたんだろうと思う量だった。孤軍奮闘で、人が嫌いだとしばしば思うようにもなっていた。仕事量より「人が嫌いだ」と思っていたことの記憶の方が強い。トラブルが起きても責任を押し付けられたり、あるいはさらに案件を持ち込まれる、そういう状況の中にある気がしていた、いつも。で、外出する気力さえ失っていた。
今日は、ガスコンロとカウンターの掃除をして、部屋に掃除機をかけた後、藤井風の日産スタジアムライブを観ながら(何度目👀)おやつを食べた。天気がよくなってきて外も明るい。昼過ぎは気圧の変化のせいもあってか、調子があまりよくなかったけれど、部屋もスッキリしたおかげか、今は心も体も軽くなった。やっぱり日産スタジアムのチケットをとるべくチャレンジすればよかったなあって大画面を眺めている。で、去年2月の徳島のライブも思い出したり。
それにしてもカウンターの汚れにはびっくりした。毎日見ているはずなのに、こんなに汚れていたなんて。私は毎日何を見ていたんだろう。
自分が見ていたのは外側だけだ。求められる成果を出すこと。持ち込まれる、あれこれのトラブルへの対応をすること。そのために家に帰る時間が日に日に遅くなり、睡眠時間も短くなって、最低限の家事をするのが当たり前になるうちに、溜め込んだ汚れに目が届かなくなっていた。外のトラブルのお掃除はしていたけど、おうちのお掃除をする体力までは残らなかった。
おやつとお茶がおいしくて、画面の中のライブからは藤井風の音楽と歓声。この7年間、よくがんばったねと心から思ってくつろいだ。
初めてかもしれない、こんなふうに自分で自分を心から労ったのは。
他の人に何も言ってもらえなくても、あるいは仮によくがんばったねって言ってもらえたとしても、自分で自分を労わない限りは、こういうほっとした気持ちにはならないんだなと初めて知った。
ということで、おやつを追加した。画面からは、藤井風の「きらり」。最高の夏の終わり方。
自分が自分を労うことができない、それは人生を、自分の時間を、自分の命を雑に扱っているということだ。自分の時間、命を安易に、他者に渡してしまわないように。私が私の命を守らないなら、他者を尊重することもできない。
最後に(ここ、後から書き加えたところ)
子どもに言われた。
「いつもは休みの日でも仕事してたのに、最近話したり、どこか一緒に行ったり何かしたりする時間が多いよなって思ってた」と。
小さい頃一緒にいろいろしたかったんだろうに、となんとも言えない気持ちを感じる。子どもが小さい頃の時間って、その時にしか流れていないものなんだよな。
時間や命って、自分だけのものではないのだ。