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とにかく、自分の居場所を整えておくこと
ジャムを作ったり、コーヒーを淹れたり、浅漬けを準備したり、お菓子を作ったり、と何だか台所で仕事をしてばかりの一日を過ごした。他にもいろいろ食事の準備や棚の整理をしたり。スーパーで買ってきたものを上手に冷蔵庫に入れたりと。
最近、仕事の中で理不尽なやりとりをしたことがあって、「一度されたことは絶対忘れない」「許さん」みたいに 何かと根に持ちやすい私は苛々いらいらイライラしたのだけど、イライラの対象に自分の貴重な時間や、貴重な生命のエネルギーを提供するのも飽き飽きしてきていたので、いつも以上に睡眠を大事にしたり、ストレッチや髪の手入れをきちんとしてみたのだった。そして、台所仕事をしているうちに、理不尽なことが心底どうでもよくなったなあと感じることができた。自分がこうして気持ちを切り替えることができたことにも嬉しく思った。
タブレットで読書をしているときに、ついでにネットのニュースやX(旧Twitter)でいろいろなニュースにもサラッとふれたのだが、つくづく実感し、そして確認したことが、「これからの社会は、自分の生活をいかに自分で作っていくかが大切であること」「そして、大切にしていることを共有するのは、感覚を同じくする人との間でとどめておくほうがいいのかな」という、積極的なんだか消極的なんだか分からない、社会とのかかわり方についての、自分の思いだった。
詳細や、ここに至るまでの過程を省略して、上に書いた自分の思いを、別の表現で書くと、
これからの社会、いろいろなことが起きるだろうし、これまでの常識などが覆されていくということがまだまだ続くと思うけれど、とにかく一人ひとりは、他の誰かが、あるいは権威のあるものが言う何かにただ流されるのではなく、自分の生活や自分の暮らす小さな小さなスペースをとにかく整えて、心身を落ち着かせることができる場所がとても大切になるだろうなということだ。
自分や家族の健康、暮らしに関わることについての考えは、人によってさまざまだ。何をベースにして考えるか、というところに、その考えは大きく左右されるのだろうと思う。私自身は、自分の直観や体の感覚というもの、そして小さい子どもたちが、まだ言葉を十分に持っていない存在たちが訴えかけてくることのなかにヒントが隠されていると思っている。子どもの食物アレルギーなどを通して、いろいろなことを考えさせられたのだ。その過程を通して、これまでの考えが覆されたこともある。あるいは、人によって、アレルギーとの向き合い方もいろいろで、「この人とは育児に関する話をしない方がお互いの関係を壊さずにすむのだろうな」ということを感じさせられたこともある。
今の社会では、いろいろなことが起きていて、その多くが不安を煽るものになっているのかなと感じることがある。そういうとき、誰かとその思いを分け合いたくなるのだけれど、そもそも物事への向き合い方が明らかに違う人と、うっかり議論を戦わせるような事態に陥ると、かえって心身ともに疲弊するだけになってしまう可能性がある。私の場合、あまり、周囲に自分と同じ感覚の人はいなかったかもしれない。あるいは方向性は同じだけれど、自分よりも相当徹底しすぎていて、その人との会話についていけなかったり。
ということで、自分自身は、食べ物のこととか、身につけるもののこととかは、結構旧Twitterの世界の人たちと共有することが一時期あった気がする。Instagramとかでも大事なことをさらっと伝えてくれている人はいる。そして、このnote。
紙媒体だと『暮らしのおへそ』とかも、自分の心を平穏にしてくれる。
地道な、でも大切な日々のことを表現してくれる人に出会うと、こんな風に感じている人は、近くにはいないけど、どこかには確実にいるらしいなあ、だから一人じゃないんだなあと思える。とはいっても、私自身は、仕事の忙しさによっては手を抜きすぎて、食事に関しては、ファストフードを結構使っちゃうこともあるし、ゆとりができて気が向いたときはいろいろ作りすぎて、家族にあきれられるという、気ままで、とっても緩い暮らし方をしているのだけれど。私自身の仕事はどちらかというと、個性とか自分の感覚を失いがちな場でしているものだし。何も考えずに日々を送っていたら、確実に自分を失ってしまう場にいる、そんな気がする。古い感覚や権威的存在が圧倒的に影響力をもっている場。でも、だからといって、そこをスパッと切り捨てたり、批判したりするのがいいかというと、そうとも言い切れない。いろいろできることもあったりする。
だからこそ。自分の、自分だけの場というものを整えておくことが大事。食べるもの、身につけるもの、休む場所。狭くていいので、きちんと手入れをすること。
人は、自分の思いだけでは、自分一人では生きていけない。他者を切り捨てての生は成り立たない。あらゆる考え方があっての、今のこの世界。かと言って、周りに染まりきる必要もない。自分の感覚で世の中を見て、自分の暮らしを自分で作って、その上で、世界の中で、小さな存在である自分がそのときできることを丁寧にすること。