正しさは違っていて良いという前提
私の正しいと思う事と、他者の正しいと思うことは異なるもので、
それが当然だと思っている。
自分の正しさを押し付ける気もない
わかってほしいとも思っていない。
先日の母校で受けた、さも不審者かのような扱い、のち卒業生は部外者発言でもそう感じた。
あの投稿はかなり勢いで、私視点でしか書いていなかったので少々反省している。
別に批判したいわけではない。
学校側としては、どこもおかしくはない。
生徒以外は稽古場などの施設に入る事は出来ないというのも、間違っていない。
今回のような夏季に行われる短期講座では、「部外者」も来校する。
運営が変わる前、大学などで学ぶ人や、その友人など垣根なく見学に訪れていたことは確かだ。
開かれた場所であった。
それも、先日担当してくれた男性が言うには、「見学というものは認めていない。今までが特例だっただけでしょう」
混乱である。
じゃあ、なんであんなに大勢見学者が入って来られたんだか。
少なくともOBが支えていた部分はあったと思う。
離れていた人が見学にきて、また受講するきっかけになったり。
可能性しかない場所だった。
人も場所も変わりゆくもの。
ついていけなければ、自分から去れば良い。
大人と呼ばれる歳になってしばらくして、ようやく
こういう考え方ができるようになった。
無理に合わないものに合わせる必要もないということに。