「長男以外は・・・」
数年前の夏に、北関東のある県で開催された教員向けの体験型研修に参加したことがある。そのプログラムの中には「トウモロコシの収穫体験」が含まれていた。
収穫するに先立って、地元の農家の方がトウモロコシの生育法について説明をしてくれたのだが、そのなかにこんな話があった。
「トウモロコシを育てるときに大事なのは『間引き』だね。1つの株にいっぱい実ができるんだけど、1個の実だけ残して、あとは全部摘み取っちゃう。そうすると残った1個に栄養が行き届いて、実の詰まったトウモロコシになるわけよ」
そして、こう付け加えた。
「長男だけ残して、次男坊や三男坊は捨てちゃうんだ。いらないから」
収穫体験は楽しかったし、その場で焼いてもらって試食したトウモロコシも美味だった。
しかし、最後の「長男だけ・・・」という言葉が私には引っかかっていた。
次の場所へ移動するバスの中でそのことを話題にしたところ、私と同じように「あの言葉は気になった」という人が何人かいて、その感想を口にしていた。
「昔の家族制度では、長男だけが後継(あとつぎ)として大事にされていたらしいからね」
「都会では考えられないことですよね」
「まあ、かなり御高齢の方だったから」
・・・たしかに、かつての農家では後継となる長男以外の男児が冷遇されていたらしい。長男以外の場合には、後継がいない他家の養子に入るか、商家の奉公人になるか、家の手伝いをしながら独身のまま過ごすか、という選択肢しかなかった時代もあったようだ。
そうしたことの名残が、まだ一部の地域や世代にはあるのだろう。
しかしそれは、本当に地域性や世代の問題なのだろうか。いや、けっしてそうではないだろう。
事実、家族制度の問題だけにかぎらず、旧来の価値観に基づいた政治家や著名人の発言が「炎上」することは度々ある。
そして、それは氷山の一角に過ぎないとも思えるのだ。