勅使川原真衣さんをゲストに迎えて(上)
昨日(12月27日)、勤務先の教職大学院が開講している「カリキュラム・デザイン」の授業に、ゲストとして勅使川原真衣さんが参加してくださった。
3・4限に行われた今回の授業は、正規の履修者以外も受講可能とされていたため、私のような他プログラムの教員や院生のほか、修了生をはじめとする現職の教員や学校管理職なども何人か参加していた。
ちなみに、参加者は勅使川原さんの著書のうち、
『「能力」の生きづらさをほぐす』
『働くということ』
『職場で傷つく』
のなかから1冊以上を事前に読んでくることになっていた。
・・・まず3限は、4名程度のグループに分かれて、本の内容で印象に残ったところ、共感できたところやできなかったところ、勅使川原さんに質問をしてみたいことなどについて読み合わせを行った。
全体的な印象として、学卒院生(学部を卒業後、すぐに教職大学院に入学した院生)に関しては、勅使川原さんの著作に通底している、
・・・について、十分に「腹落ち」をしていない人が多いように思われた(もちろん、全員がそうだったというわけではないが)。
一方、現職院生(教員経験がある院生)、修了生、現職教員・管理職については「腹落ち」の度合いが高いと感じられた(もちろん、全員がそうだったというわけではないが)。
後者にこうした傾向が見られた理由の一つは、学校現場に「特別支援教育」や「インクルーシブ教育」が普及し、「環境調整」や「合理的配慮」という考え方が浸透しつつあり、実感として理解しやすかったからではないだろうか。学校現場のこうした変化は、勅使川原さんの考え方とも親和性が高いように思われる。
また、全員参加型の「シェアド・リーダーシップ」を取り入れて、「機能」や「組み合わせ」を意識した運営を行う学校が増えていることも、「実体験の有無による違い」として両者の差に表れているのかもしれない。今回参加した学校関係者の勤務校には、「シェアド・リーダーシップ」型の学校運営をするところが多かったのではないかと推察する。
無論、この授業に参加している現職院生、修了生、現職教員・管理職たちが「平均的な教員」なのかといえば、かならずしもそうではないだろう。
また、彼/彼女らにしても、脱「能力主義」に賛成をしているのは少数派なのかもしれない。(つづく)