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学校教育におけるデータの活用
近年、学校教育におけるデータの活用が進んでいる。これまで「勘と経験」に頼っていたこの世界でも、いわゆる「エビデンス」が重視されるようになり、それに基づいた施策や実践が行われるようになってきたのは当然のことだと思う。
しかし、このところ話題になっている某自治体の取組については、「いかがなものか」と思ってしまう。
この自治体の中学校では、生徒の手首に着けたリストバンド型の端末で脈拍を計測し、授業中の「集中度」を測定する実証研究を5月から行っている。新聞記事によれば、次のように活用をしているらしい。
生徒の集中度は、教員の端末に即座に反映され、一人ずつ波形のグラフが表れる。波の振れ方によって集中の度合いが分かるといい、波が上に振れるとリラックスや眠気を催しているとされ、下に振れると緊張やストレスを感じているとされる。授業に一番集中できるのは、このリラックスと緊張の状態がどちらかに偏らずに適度に繰り返される状態だという。教員は、授業後や放課後にこのデータを確認し、授業の進め方と子どもの集中度の関連性などを見て自分の授業を振り返る。
しかし、である。
生徒がどのような心理状態で授業に臨んでいるのかは、目の前にいる教師が一番よくわかっているはずである。テクノロジーに頼らなくても、表情、視線、仕草などからそれを把握できるのが教師というものだろう。
それは「勘や経験」などではなく、実際の生徒の姿から捉えた「エビデンス」だと言ってもいいのではないだろうか。
さらに言えば、こういう「ウソ発見器」のような端末を装着して、それでリラックスできる生徒ばかりがいる教室や学校があるのだとしたら、それを認めたいとは思わない。
脈拍や血流のデータはあっても、そこに「血が通っている」とはどうしても考えられないからだ。
「エビデンス」のない戯言だ、と言われてしまえばそれまでだが。