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ネット時代の「裸の王様」

 最近、「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」という言葉をよく耳にする。


 フィルターバブルは、インターネット上で得られる情報が個々人に最適化される過程で、特定の情報や視点に偏る現象のことを指す。

 これは主に、検索エンジンやソーシャルメディアのアルゴリズムがユーザーの検索履歴やクリック履歴、好みなどを分析し、ユーザーに関連性が高いと判断した情報を優先的に表示することから生じるものだ。

 各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなってしまうのである。

 たとえば、あるテーマに関する特定の意見やニュースを頻繁に閲覧していると、同様の内容がより多く表示される一方で、異なる視点や反対する意見が目に入りにくくなってしまう。

 その結果、自分の意見や認識が強化されるのに対し、多様な視点に触れる機会が減少し、偏った情報空間に閉じ込められるリスクが高まるのだ。

 フィルターバブルには、情報の多様性や民主的な議論を阻害する可能性があり、その影響を抑えるためには、意識的に異なる情報源を探す努力が求められる。


 エコーチェンバーは、意見や信念が同じ人々の中にいると、それが繰り返し共有され、強化される現象のことを指す。

 閉じた部屋の中で音が反響する物理現象にたとえられており、直訳すると「反響室」を意味している。

 このエコーチェンバーは、主にソーシャルメディアやオンラインコミュニティなどのデジタルプラットフォーム上で発生する。

 SNSや掲示板などの閉鎖的な空間で、自分と似た考えや価値観を持つユーザー同士でコミュニケーションを繰り返すことで、自分の意見や思想が強化されていくのだ。

 たとえば、特定の政治的立場を支持するグループ内で同じような意見が頻繁に共有されることで、その意見がますます正当化され、異なる立場の意見が除外されやすくなる。

 ユーザーが自分の意見に反する情報を避けたり、排除したりする傾向を助長し、偏った情報環境を生み出すのだ。

 その結果として、グループ外の意見や視点への理解が欠如し、社会的な分断を深める危険性を持っている。

 これを回避するためには、多様な視点を受け入れる姿勢や、幅広い情報源にアクセスする努力が必要となるのだ。


 ・・・アンデルセンの童話「裸の王様」の主人公は、贅沢と虚栄心に取り憑かれた王様である。

 彼は新しい服を好み、毎日違う衣装を着ることに熱中していた。

 そんなある日、王様のもとに腕が良いと評判の仕立屋たちが現れ、「我々は、愚か者には見えない特別な服を作ることができる」と申し出る。

 しかし、実はこの仕立屋たちは詐欺師だった。だが、王様はその話を信じ、彼らに高額な報酬を支払って服を注文する。

 詐欺師たちは織機で服を「作るふり」をするが、誰もそれを指摘することができない。

 王様の家臣たちも、そして王様自身も、自分が愚かだと思われたくないという恐れから、見えない服のことを絶賛する。

 ついには王様が、その服を着るふりをしてパレードに出る日が訪れる。群衆も皆、同じ理由で王様を褒め称えるが、突然、ひとりの子どもが「王様は裸だ!」と叫ぶ。

 その言葉が広まり、群衆は真実に気づくが、それでも王様は恥を忍んで最後まで行進を続ける、という結末だ。


 アンデルセンが「裸の王様」を発表したのは、今から200年ほど前の1837年のことだ。

 この童話に登場する人々は、王様が裸だということに実は気づいていた。だから、子どもの声を聞いて本当のことを口にすることができたのである。

 それから約200年が経った現代のネット社会は、フィルターバブルやエコーチェンバーなどによって、無自覚な「裸の王様」とその支持者を大量に生み出しているのではないだろうか。

 彼らに向かって「王様は裸だ!」と言っても、その耳には届かない。

 ・・・今の詐欺師たちは、200年前よりもさらに巧妙になっているのかもしれない。

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