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勅使川原真衣さんをゲストに迎えて(下)

(前回のつづき)

 能力主義に起因する息苦しさが学校を含めた社会を覆っているなかで、勅使川原さんの主張に共感を覚える人は多いことだろう。私もその一人だ。

 その一方で、次のような疑問も残る。

① 規模の大きな組織であれば、勅使川原さんが言う「機能」の持ち寄りや「組み合わせ」の調整も十分に可能だろう。しかし、小規模の組織でもそれができるのだろうか?

② 「機能」の持ち寄りや「組み合わせ」の調整によって、企業や学校などの組織に変化をもたらすことは大いに期待できる。けれども、その「入口」である就職活動や入学者選抜に際して、「能力」に代わる指標はあるのだろうか?

③ これまでに能力主義の恩恵を存分に受けてきた「勝ち組」の人々が考え方を改めなければ、社会を変革することは難しいだろう。そのマインドセットをどのように図っていくのだろうか? 

 ・・・今回、勅使川原さんが直接、あるいは間接的に回答してくれたことを踏まえて、自分の考えを整理してみた。

① 小規模な組織での「機能」の持ち寄りや「組み合わせ」の調整について
 小規模な組織の場合には、「組み合わせ」の選択肢が限られる。そのため、「あちらを立てればこちらが立たず」という状態になることはあるだろう。

 しかし、大規模な組織に比べて、一人ひとりの「機能」をきめ細かく把握したり、「組み合わせ」による効果を予測したりすることは容易になるはずだ。

 また、各自が「機能」を持ち寄って、よりよい「組み合わせ」を目指すうえでは、組織全体で目的やミッションを共有することが不可欠である。こうした点でも、小規模な組織にはアドバンテージがあるだろう。

 勅使川原さんは、著者『働くということ 「能力主義」を超えて』のなかで、
「二人以上の人間が目的を持って集まるならばそれは組織」
 だと述べている(151ページ)。親子や夫婦も組織だと呼ぶことができるのだ。

 小規模な組織の場合、たしかに「組み合わせ」の選択肢は限られるかもしれない。だが、互いの「あるがまま」を認め合い、その「機能」を持ち寄るという考え方自体は、親子や夫婦を含めた小規模な組織にも役立つことだろう。 

② 就職活動や入学者選抜などにおける「能力」に代わる指標について
 就職活動や入学者選抜などのように「定員」が設けられている場合、選抜することを避けて通ることはできない。勅使川原さんも、こうした選抜そのものを否定しているわけではない。

 しかし、学歴やペーパーテストの結果などに依存することには限界や弊害があることも事実である。「多様な視点で評価すること」と「結果に対する納得感」のバランスを図るのは難しいことだが、可能なかぎり説明や対話を重ねながら選抜をしていくことが大切になるだろう。

 また、選抜をする側である企業や学校が、志願者に対する感謝の気持ちをもつことも必要ではないだろうか。少子化が急速に加速する今、「選ぶ側が上、選ばれる側が下」という感覚をもち続けていると、その組織は存続が難しくなってくるのではないだろうか。

③ 「勝ち組」のマインドセットについて
 政治・経済・アカデミズムなどの分野で活躍している人たちの多くは、これまでに能力主義の恩恵を受けてきた「勝ち組」だといっていい。その人たちが考え方を変えないかぎり、能力主義の世の中を変えていくことはできない。

 けれども、それは「勝ち組」にとって既得権を放棄することでもあり、けっして簡単なことではないように思う。

 しかし勅使川原さんは、コンサルタントとして企業の組織開発に関わるなかで、クライアントが能力主義的な考え方を改める場面を数多く見てきている。

 そのきっかけは、仕事上の行き詰まりや挫折、自身の病気や家族の問題など様々だが、当人の「気づき」がマインドセットにつながっているようだ。

 ・・・「盛者必衰」という言葉のとおり、どんな人にも能力主義を見直すきっかけが訪れるのか、それともそれは性善説に基づく楽観論にすぎないのか、今の私にはわからない。

 しかし、これからも考え続けていきたいと思う。

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