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「下駄箱」と「教壇」
「靴はそこの下駄箱に入れてください」
先日のことだが、訪問した学校の玄関で、応対してくれた職員の方からこのように言われた。
言葉尻を取るようで申し訳ないとは思いつつ、
(それを言うなら「下駄箱」ではなく「靴箱」でしょう)
と、心の中でつぶやいた。
私は40年以上にわたって学校教育に関わっており、様々な学校の玄関や昇降口でこの「履物を入れる箱」を見てきたが、未だかつてその中に下駄が入っていることを目撃した経験は一度もない(と思う)。
かつて、日本人の履物で下駄が主流だった時代にこの「下駄箱」という名前がつけられたのだと想像する。しかし、靴の普及とともに下駄が使用されることは激減し、そうした実態に合わせて「靴箱」と呼ばれることが一般的になったのだろう。
それでも、旧来の呼称である「下駄箱」は細々と生き延びているらしく、今回のように耳にすることもあるのだ。
また、「箱」つながりで言うと「筆箱」もそうである。もしも、プリキュアのキャラクターが描かれた「筆箱」の中から、本物の筆が出てきたら驚くしかない。
さらに言えば、布製やビニール製の「箱」ですらないものまで「筆箱」と呼ばれることがあるのだから始末が悪い。
ほかにも、時代に合わなくなった物として「教壇」が挙げられる。もともとは教室の前方に設置された台のことを表す言葉だが、教職に就くことを「教壇に立つ」と言うように、比喩として用いられることが多い。
「教壇があると、教室の一番後ろにいる子どものこともよく見える」
という意見もあるが、教師の位置を一段高くすることによって、その威厳を保つために設けられていたのではないかとも思う。
最近の教室には教壇がないところも多く、あっても移動式のものだったりする。
そもそも、講義型の一斉授業であれば教師は「教壇に立つ」ことでよかった。けれども、個別に対応をしたりグループ活動の支援をしたりする際に、教師は教壇から離れる必要がある。「教壇に立つ」だけだと、子どもたちの学びを十分に支えることは難しいのである。
今、教師は「子どもに教える人」から「子どもの学びを支える伴走者」に変わることを求められている。
そうであるならば、「教師」とか「teacher」という言葉についても、いずれは時代にそぐわなくなるのかもしれない。