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ChatGPTは「すごく物知りだけど、ちょっと天然なところがある仲間」!?
去る11月18日(土)に東京学芸大学附属小金井小学校で開催された「ICT×インクルーシブ教育セミナーvol.6」に参加した。
私が特に楽しみにしていたのは、同校の鈴木秀樹教諭が公開する4年生の国語科『プラタナスの木』の授業だったが、その内容は期待に違わぬ刺激的なものだった。
鈴木教諭のこの授業については、狩野さやか氏が下記の記事で紹介をしているので、ぜひご覧いただきたい。
・・・小学校の学習でChatGPTを活用することに関しては、こんな批判を耳にすることがある。
ChatGPTの年齢制限は「13歳以上」となっており、小学生の子どもたちは自分でプロンプト(指示文)を入力することができない。
そのため、教師が代表でプロンプトを入力することになるから、子どもたちが主体的・対話的に学ぶことは難しい。
だが、この日の鈴木教諭の授業は、そうした批判を払拭するのに十分だったと言える。
たとえば、鈴木教諭がプロンプトを書き込んだ後、子どもたちに
「どんな回答をしてくると思う?」
と予想させると、
「私はAIであり、個人的な感想をもつことができません」
と、杓子定規な回答を先回りして予測する子がいたりする。
また、一見すると「理路整然」とした回答がChatGPTから返ってきても、
「納得できない」
という子が何人も現れ、子どもたちが議論を始める。
たしかに、この授業では鈴木教諭が代表でプロンプトを入力していた。しかし、それでも子どもたちは主体的に、そして対話的に学んでいたという印象を受けた。
それは、子どもたちがChatGPTのことを、
「すごく物知りだけど、ちょっと天然なところがある仲間」
としてクラスに受け入れていたからに他ならないだろう。
無論、こうした授業は一朝一夕にできるものではない。鈴木教諭自身も授業後に、
「おそらく、日本の小学校でいちばん生成AIを使っているクラス」
と自負していたように、子どもたちがChatGPTを「仲間」として受け入れるまでには、きっと様々な積み重ねがあったことだろう。
また、生成AIの回答を鵜呑みにしない「批判的思考」が子どもたちに育まれていた点も見逃せない。きっと、こうした力も日常の授業のなかで培われているのだろう。
・・・今回の授業に刺激を受け、「鈴木教諭に追いつけ、追い越せ」とばかりに、ChatGPTを活用した実践に取り組む教師たちがいるに違いない。
だが、ChatGPTを活用する前に、あるいは並行してやるべきことがたくさんあるはずだ。
そして、その間に鈴木教諭はさらに一歩も二歩も先へ行っていることだろう。