「決める人」を「決める」
朝日新聞・日曜版の「朝日歌壇」「朝日俳壇」には、読者から寄せられた短歌と俳句が掲載されている。
それぞれ、日本の代表的な歌人・俳人の4名ずつが投稿作品の中から秀作を選び、解釈や評価を加えるという構成になっている。
趣味で短歌や俳句をやっている人にとって、この「朝日歌壇」「朝日俳壇」に作品が載るのは名誉なことらしい。
ちなみに、複数の選者から選ばれた作品には冒頭に「☆印」がつけられるのだが、それは極めて稀なことだ。選者によって好みやこだわりが異なっているからなのだろう。
うがった見方をすれば、掲載されなかった作品の中にも、別の選者であれば選ばれていたかもしれない佳作が埋もれている可能性がある、ということになる。
「決める人」が異なれば結果が違ってくるかもしれない、というのは文学や芸術にかぎった話ではない。「〇〇審議会」とか「第三者委員会」と呼ばれる会議も同様だろう。
主催者や権力者が会議自体に圧力をかけたり、特定の方向へ議論を誘導しようとしたりすることはご法度である。
けれども、「決める人」を「決める」段階で、その意を汲んでくれそうな人物を揃えることは可能なのだ。
そうなると、「決める人」を「決める人」の倫理観や責任感が問われることになるのだが、それはけっして簡単なことではない。
結局は、「決める人」を「決める人」を「決める人」の意識が重要なのだ。さらに言えば、「決める人」を「決める人」を「決める人」を「決め【以下省略】。