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【読書ノート】アン・ウーキョン『イェール大学集中講義 思考の穴』(ダイヤモンド社)
この『イェール大学集中講義 思考の穴』は、私たちの心の中に存在する「バイアス」や「思考のクセ」が、どのようにして意思決定や倫理観、社会的行動に影響を及ぼしているのかを伝えている。
著者のアン・ウーキョンは、イェール大学の教授として、心理学や神経科学の観点から人間の「思考の罠」に関する研究や教育を行ってきた人物である。本書はその講義内容を元に構成されたものだ。
本書の主要なテーマの一つは、私たち人間が直感や感情に基づく思考に陥りやすい生き物だということである。
著者によれば、人間は無意識なものも含めて1日に約3万5千回の意思決定をしているという。多くの場合、その意思決定は論理的な分析に基づくものではなく、感情や瞬間的な反応に依存して行われているのだ。
1日に約3万5千回。その一つ一つに論理的な判断をすることが不可能である以上、直感的な判断は人間にとって合理的でもある。
しかし、こうした判断はしばしば誤った結論や偏見を導きがちだ。普段から「冷静な判断ができる」と自負している人物であっても、実際には社会的なステレオタイプや身近な出来事に影響を受けることが多いものだ。
著者は、そうした人間の思考や判断のクセについて、実験に基づくデータや実際のエピソードをもとに解説をしている。
たとえば、著者は「共感の罠」の項で、感情的に他者に共感することで判断が偏りやすくなる危険性を指摘している。
具体的にいうと、ある特定の子どもが病気で苦しんでいるという話を聞いたとき、人々はその子どもに対して強い共感や同情心を抱き、治療や支援のために積極的に寄付をしようとする。
しかし、同じような状況に置かれた不特定多数の子どもたちに対する寄付となると、共感が薄れて寄付額が減る傾向があることがわかっているのだ。
また、「フレーミング効果」の項では、人々が同じ事実を異なる角度から提示された場合、その見え方によって意思決定が大きく変わることを示している。
たとえば、「90%の成功率」と「10%の失敗率」は全く同じ内容であるにもかかわらず、成功率を強調された方がポジティブに受け取られ、より多くの人々に支持される傾向がある。
このフレーミング効果は、購買意欲、健康リスクについての理解、政策決定など、多くの意思決定に影響を与えていることが指摘されている。
人間の認知は脆弱であり、情報の伝え方によって思考が簡単に操作されてしまうのだ。
さらに、「確証バイアス」の項では、自らがすでに信じたり支持したりしている情報を優先して探し、反対する情報を無視する傾向があることを指摘している。
具体的にいえば、ある人物が某政治家を支持している場合、その政治家に関する良いニュースを優先的に探し出し、悪いニュースには目を向けない傾向が強まるのだという。
こうしたバイアスは、SNSやインターネット上での情報収集を通じてさらに強化されやすく、個々人の意見が過度に偏る原因にもなっている。
AIを活用した「オンデマンド」の情報は、他の情報から私たちを隔離しようとする罠なのかもしれないのだ。
・・・これらの他にも、本書には人間が陥りやすい「思考の罠」が、実例とともにいくつかのパターンとして示されている。それぞれ、私自身の経験や日常生活と照らし合わせても、納得ができるものばかりである。
現代社会に溢れる情報のなかには、バイアスによって歪められたものも数多く含まれている。そのなかには意図的に、そして巧妙に歪められたものも少なくないだろう。
直感的な判断だけに依存するのではなく、時には立ち止まり、そこにバイアスや罠が仕込まれていないのか、自らで精査をする必要があるのだ。
・・・もしかすると、本書に示された内容もその例外ではないのかもしれない。