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「教師の自腹」を生むメカニズム(中)

 前回の記事では、『教師の自腹』(福嶋尚子・栁澤靖明・古殿真大著、東洋館出版社)という本の内容を紹介するとともに、「教師の自腹」が生じてしまうメカニズムについて考えてみた。

 私自身の肌感覚でいうと、教師が「自腹」を切ってしまう理由には、主に次の3つがあると思う。

① 学校に配当される予算が少ないこと
② 経費を申請するための事務手続きが煩雑なこと
③ 仕事とプライベートの境界が曖昧なこと

 ①については前回の記事で補足をした。今回は②について書いていきたい。

 公立学校で公費によって物品を購入する場合、基本的に現金は取り扱わない。見積書・納品書・請求書等の書類をもとにして事務職員が発注や支払いの起案を行い、学校の管理職が決裁をしたうえで、教育委員会の担当部署が必要な事務手続きを行うのだ。ちなみに、一般の教職員はこうしたプロセスについて知らないことが多い。

 1年間の教育活動を見通して計画的に発注をしていれば、年間予算の範囲内で必要な物品を取り揃えることができる。しかし、「自転車操業」で日々の仕事に取り組んでいる教職員たちにとって、たとえば、
「明日の理科の授業で、クラスの人数分の紙コップが必要だ」
 と、前日の夜になってから気づくことなどは日常茶飯事だ。

 もしも、学校に買い置きの紙コップがなければ、
「帰りに『100円ショップ』で買うことにするか」
 と、なりがちなのである。

「もっと計画的に授業の準備をすればよいではないか」
「毎年使うのであれば、学校でストックをしておくべきだ」
 という声が聞こえてきそうだが、そうはいかないのが「自転車操業」の悲しいところだ。

 ・・・公費による物品購入の場合、たとえ「100円ショップ」などでレシートや領収書を貰ったとしても、いわゆる「立替払い」はできない。結局は「自腹」ということになってしまうのだ。

 自治体によっては、教職員がこうした物品購入をした場合に、PTAの「学校協力金」や保護者からの「学校徴収金」で補填をすることもあるようだ。しかし、『教師の自腹』の著者たちも指摘をしているように、本来は公費で賄われるべきものを保護者の「財布」に依存しているのであれば、それは「隠れ教育費」ということになるだろう。

 ほかにも、公費の場合には発注から納品までに時間がかかるため、
「だったら『自腹』で」
 になってしまうケースが少なくないと思われる。

 ・・・前回に述べた
「① 学校に配当される予算が少ないこと」
 と、今回の
「② 経費を申請するための事務手続きが煩雑なこと」
 については、「学校配当予算の増額」「事務手続きの簡略化」など、教育行政の側の判断や努力によって改善を図ることが可能なはずだ。

 もちろん、前者を実現することは簡単ではないだろうし、後者については簡略化による「不適切な執行」等のリスクも伴う。だが、教職員による「自腹」を放置することにも大きな問題があることを忘れるべきではない。


 しかし、
「③ 仕事とプライベートの境界が曖昧なこと」
 に関しては、①や②とは問題の性質が異なっている。③は教職員の「やりがい」とも密接に関わっているからだ。

 そして、それは「教職員の長時間労働」の問題とも類似した構造をもつものなのだ。
(つづく)

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