教育DXによって拡大する「格差」
昨夜の懇親会では、教育DXの先進的な取組について刺激的な話を聞くことができた。
現職の小学校教諭であるAさんは、グループでの話し合いを「見える化」する『ハイラブル』というシステムを用いて、その実証的な研究授業に挑戦するのだという。
教職大学院生であるBさんは、指導教員に随行して、GIGA端末とクラウドをフル活用した「複線的な授業」を参観し、それをもとにした研究を進めている。
いずれも、数年前には想像できなかったような光景が、公立学校で現実のものとなっているのだ。
その一方で、Bさんが教職専門実習で関わっている小学校では、GIGA端末が「文鎮化」しているらしい。
この学校でGIGA端末が「文鎮化」してしまった過程は、概ねこんなかんじだろう。
詳しいことについては、以前に
「超重(ちょうじゅう)GIGA」
という記事を書いているので、そちらをご覧いただきたい。
きっと、教育委員会の関係者がGIGAスクール構想を推進するに当たって、「1人1台端末」の導入で手一杯となり、回線の整備やそのための予算獲得にまで頭が回らなかったのかもしれない。
そもそも、「1人1台端末」を活用してどんな学習を行うのか、という具体的なイメージがないまま整備が進んでいった可能性もある。
また、たとえインターネットにはつながらないとしても、端末の「カメラ機能」やオフラインで利用できるアプリを使ってやれることもあるだろうが、そういう発想もなさそうだ。
それに関連して気になるのは、この学校の場合、
「回線が『重い』のではなく、端末の動作が『重い』と誤解している教職員が少なくないらしい」
ということだ。
だから、オフラインでも使おうとしないらしい。こうなると教職員のデジタルリテラシーの問題である。
このままだと、教育DXを「推進している学校」と「推進していない学校」の差は広がるばかりだ。それはそのまま「教育格差」につながってしまう。
こうした「格差」を解消していくためには、デジタルではなくアナログの「泥臭い」取組が必要になるのだろう。