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「プリクラ」のような「研究紀要」
久しく「プリクラ」を撮ったことはないのだが、最近の機種には「盛る」ための機能が満載されているのだという。
・・・「盛る」とは、自分の外見を実際以上に可愛く、あるいは格好よく見せることである。プリクラ機の機能を使うと、次のような「盛り」ができるらしい。
・目や瞳を大きくする
・肌を綺麗にする(肌を明るく滑らかにし、ニキビやシミなどを目立たなくする)
・顔の輪郭を変える(小顔にしたり、顎のラインをシャープにしたりする)
・唇や頬を色づける(チークやリップを足して健康的に見せる)
・背景やエフェクトを追加する(キラキラした背景や可愛いデザインを追加して、全体的な雰囲気を盛り上げる)
こうした機能を駆使すれば、「スポンジボブ」を「一反木綿」にすることぐらい朝飯前だろう。
・・・「盛る」ことによって、理想的な自分に近づけたり、記念写真をより華やかにしたりできるのだ。友達同士でプリクラを撮る場合には、「盛る」こと自体が楽しいし、記念にもなることだろう。
ただし、「盛り」が限度を超えると本人の原型を留めなくなってしまうため、証明写真として使うことは不可能である(そもそも、プリクラの写真を履歴書に貼った場合、一般的には印象がかなり悪くなることだろう)。
年度末が近づき、「研究紀要」の作成に取り組んでいるという学校も多いはずである。
学校の研究紀要とは、校内で取り組んだ研究の経過や成果等について冊子などにまとめるものだ。特に小学校では、これを毎年作成しているというところが多い。
正直なところ、この研究紀要というのは玉石混交だと思う。無論、他校の取組にも役立つような優れた内容のものもある。
その一方で、作成に時間と労力をかけた割には、箸にも棒にもかからず、「作ること自体が目的化している」ような研究紀要も少なくない。
特に残念なのは、研究の《考察》に、まるでプリクラのような「盛り」が見られることである。
たとえば、
「授業中に『1人1台』のタブレット端末を使ったら、普段よりもグループでの活動が活発になりました。だから、ICTは『主体的・対話的な学び』に有効です」
といった類の「大盛り」な《考察》が散見されるのだ。
自分の実践や校内の研究を「よく見せたい」という気持ちも理解できなくはない。だが、そういう「デカ盛り」な文章よりも、事実のままに「わからなかったこと」や「課題として残ったこと」を含めて《素の状態》で示してもらったほうが、読み手の得るものは大きいだろう。
・・・プリクラは、たとえ「盛りすぎた」としても記念には残る。しかし、「盛りすぎた」研究紀要は、埃を被ったまま忘れ去られてしまうだけだろう。