![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120950875/rectangle_large_type_2_b676003e85600b3baf5599df12ba11fd.png?width=1200)
45歳・教員の「越境学習」 ~日本財団での1年間~(32)
今年のプロ野球・日本シリーズでは、阪神タイガースがオリックス・バファローズを破って38年ぶり2度目の優勝を飾った。
・・・こういう大きなスポーツイベントがあると、監督のリーダーシップのあり方が話題になる。阪神の岡田監督の場合は、近年の主流になっている「対話型」のリーダーではなく、どちらかといえば口数の多くない「昭和型」のリーダーであるように思われる。
しかし、岡田監督は選手と直接に対話をすることは少ないものの、メディアを利用した間接的なコミュニケーションの図り方は、実に巧みだといえる。
常に勝利を追求する厳格さを示し、選手からは近寄りがたい存在だった。活躍した選手を監督室でねぎらう過去にない姿を見せた一方、昔も今も基本的に個々に直接、考えを伝えることはない。代わりにメディアを使った。毎日配信される「岡田語録」で核心を突き、「チームがやるべきこと」を詰め込んだ。時に容赦ない言葉も並ぶ「新聞辞令」が令和の時代に通じるだろうか…という球団内の不安を豊富な野球知識とカリスマ性で打ち消した。ほぼ全選手が「岡田語録」を熟読。夏場に強制的に早出特打を課せられた佐藤輝は今では自主的に取り組むようになった。
本来、メディアを通して語られる言葉は読者や視聴者に向けたものだろう。しかし岡田監督は、それが選手たちにも伝わることを見越し、意図的に「内部広報」の手段として用いていたというわけだ。
この「岡田語録」で思い出したのは、日本財団の笹川陽平会長によるブログのことである。
私が研修をしていた当時から、笹川会長は日本財団の取組について広く周知を図るため、毎日ブログの更新を行っていた。
無論、多忙な会長が自身で記事をアップしていたわけではなく、広報の担当者が会長の発言を文字に起こしたり、その意図を汲んで文章にまとめたりしていたのだとは思う。
日本財団の職員はこのブログを毎日かならず読んでいた。いや、正確に言えばその「行間」を読んでいたのだと思う。
たとえば、ブログで時事問題が扱われている場合には、その内容から会長の問題意識がどこにあるのか、どのような見解をもっているのかを探るのだ。
また、日によっては当日のスケジュールが1時間単位で箇条書きされているだけのブログもある。しかしそれも、会長が誰と会っているのか、どんな場所を訪れているのかを知り、今後の方向性をつかむための貴重な情報としているのだ。
会長と一般の職員が直接に会話をする機会はかぎられている。しかし、職員はこのブログをとおして、会長が何を考え、そして自分が何をするべきかを知ることができた。「岡田語録」と同じように「内部広報」の役割を担っていたのだと思う。
岡田監督や笹川会長には比べるべくもないが、私自身も校長時代に、
・「学校だより」の巻頭言
・学校ホームページの記事
・朝会での児童向けの話
などの情報を、実は職員が読んだり聞いたりすることを想定して発信していたことがある。
・・・校長と職員の「対話」のなかには直接的なものばかりでなく、こうした間接的なものもあっていいと思う。そのヒントをくれたのが笹川会長のブログだった。