【読書ノート】勅使川原真衣『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)
今の日本の学校教育が、どのような児童生徒の育成を目指しているのか? ざっくりとした言い方をすれば、
「グローバル化や情報化が急速に進展し、将来の予測が困難ななかでも、自ら課題を見つけ、多様な人々と協働しながら、自分のよさを発揮してよりよい未来を切り拓いていく人」
ということになるだろう。
そのために必要な能力として挙げられるのは、コミュニケーション能力、リーダーシップ、情報活用能力、問題解決能力、語学力、積極性、粘り強さ、探求心、責任感・・・等々と、枚挙にいとまがない。
こうした能力をたくさんもっている者は、学校や就職活動等で高い評価を受けて、社会に出てからも活躍することが期待される。当然、大人になってから高い収入や名声を得る可能性が高い。
その一方で、能力主義は個人のスキルアップを過度に強調し、勝者と敗者を生んでいく。けれども、こうした能力主義に反旗を翻すのは、それほど簡単なことではない。
たとえば、「世襲議員」や「二世タレント」を批判することならば比較的やさしいだろう。出自などによる条件の不平等を訴えればよいからだ。
ところが、能力の場合には、
「それは、あなたの努力が足りないからでしょう」
という言葉で片づけられてしまいがちなのである(実際には、親の収入をはじめとする様々な「ハンデ」によって、平等な競争だとは言い難いケースが少なくないのだが)。
・・・結果として経済的な格差が拡大するとともに、息苦しさや生きづらさが蔓延しているのが今の日本の社会なのだろう。
本書の著者である勅使川原真衣氏は、大学院で教育社会学を専攻した後、外資系コンサルティングファームでの勤務を経て、2017年に企業等の組織開発を専門とする会社を設立している。
本書の内容は、著者が教育社会学の知見と実務経験とを融合させて、現代社会における能力主義の問題点を指摘し、働くことの本質を再考しようとするものだ。
この本の全体を貫いているのは、私たちが日常的に直面する「選ぶ」「選ばれる」という能力主義的な価値観が、個人に自己責任感を抱かせ、生きづらさをもたらしているという主張である。
著者は、そもそもこの世には「望ましい性格や能力」と「望ましくない性格や能力」というものなどがあるわけではなく、能力主義の大前提となる「能力」というものの存在自体に異を唱えている。
たしかに、能力と呼ばれるものは、当人が置かれた環境や他者との関係性によって左右されることが多い。ある組織では「積極性がある」と高く評価された能力が、別のところでは「自己主張が強い」と見なされることもあるだろう。逆に、「引っ込み思案」だと言われていた人が「思慮深い」という評価をされることもあるに違いない。能力と呼ばれているものは、個性や特徴に過ぎないのだとも言えよう。
また著者は、皆でやっている仕事の「成果」を個人単位で評価することにも疑問を呈している。その指摘のとおり、よほどの個人作業でもないかぎり、人間は一人で仕事上の成果を出すことなどできない。それにもかかわらず、能力主義によって組織内での人間関係や協働の重要性が軽視される傾向があると述べているのだ。
そのうえで著者は、「優秀」な「個人」を集めれば、それでよい「組織」がつくれるのだろうかという問題を提起し、大切なのは個人に「良し悪しの優劣」をつけることではなく、「人と人の持ち味を組み合わせる」ことだと主張している。
このことを説明するために著者が用いているのは、レゴブロックのメタファだ。
・・・「人と人の持ち味を組み合わせる」ということについて営業職を例にすると、新規の顧客を開拓することは「積極性」がある社員が担い、契約等のきめ細かい部分は「思慮深い」社員が担当するなど、個々の持ち味を生かして協働することができれば、チーム全体としての生産性も高まることだろう。
著者は、経営者や管理職に求められるのは「優秀で稼げる人材」を「選ぶ」ことに注力することではなく、人と人との組み合わせの妙に気づけるように、自分自身のモードを「選ぶ」ことだと述べている。
現在、日本の格差社会の改善に向けた施策は、高等教育の無償化や就労支援など「機会の公平性」を担保しようとするものが中心となっている。
しかし、こうした施策は、あくまでも能力主義に基づいたものである。これでは何パーセントかの勝者と敗者が入れ替わるだけで、息苦しさや生きづらさの根本的な解決にはつながらないだろう。
それに対して本書は、人間同士を競争させることによって成果を出そうとする社会のあり方への疑問と、それに対する具体的な改善策を示しており、共感できる部分が多い。けれども、著者の主張がすぐに広く受け入れられるだろうかといえば、それは難しいと思われる。
たとえば、スポーツや芸術の世界をはじめとして、能力主義の全てを否定することはできない。著者自身も「能力主義が必要な場面」として、「看護師が上手に注射をする」という例を挙げている。
実際に、健康診断の採血のときなどに、看護師によって注射の仕方に巧拙があることを経験しているのは私だけではないだろう。著者はそうした能力の差があることを認めたうえで、次のように述べているのだ。
こうした適材適所の分業制がとれたなら、それは理想的かもしれない。だが、看護師不足が深刻な社会問題となっているなかで、「注射専門の看護師」や「患者へのケア専門の看護師」といった分業制がとれる医療機関は極めて限られているに違いない。そして、少ない人数で業務を回していかなければならない職種は看護師だけではないのだ。
また、学校や企業のみならず、社会の隅々まで能力主義が浸透している今の世の中で、個々の組織の取組だけで大きな変化を生み出すことは簡単ではないだろう。著者も次のように述べている。
著者が本書を通じて伝えようとしているのは、けっして組織開発のハウツーではない。人間観や仕事観、経済的に豊かであることの意味など、「次世代にどのような社会を引き継いでいくのか」ということを読者に問いかけているのだ。
著者が挙げた「声の大きい企業、経済界やアカデミズムで著名な方々」とは、これまで能力主義の恩恵を受けてきた人々のことである。その人たちが、今後どのようなモードを「選ぶ」のかが問われていると言えるだろう。
その一方で、私自身にもこれまでとは異なるモードを「選ぶ」べき場面が、身近なところにあることは間違いない。