
45歳・教員の「越境学習」 ~日本財団での1年間~(22)
2006年の7月下旬、東京都東村山市にある重症心身障害児施設「秋津療育園」と国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で5日間の研修を行った。その3日目以降のことである。
3~5日目:7月26日(水)~28日(金)
3日目から最終日までの3日間は、秋津療育園の病棟で現場研修を行った。
研修の内容は、食事の介助・おむつの取り替え・水分補給・入浴時の補助などだったが、食事の介助一つをとっても、一人でスプーンを使える園生がいる一方で、全面介助が必要な方がいるなど個人差が大きく、一人一人の状況に応じてきめ細かく対応をしていく必要があった。
多くの園生は、この秋津療育園の中で一生を過ごすことになる。看護士や生活指導員の方たちは、一人一人に対してこまめに声をかけたり、定期的に健康観察をしたりしながら、園生たちが少しでも豊かな療育生活を送れるように気を配っていた。体力的にも精神的にもタフな仕事だろうと思うが、そうした様子を見せることなく園生たちと向き合っている姿からは、同じ社会人として学ぶべきことが多かった。
園生の皆さんとの会話はほとんど成立しない状況だったが、それでもこちらが理解をしようと努めれば、身振り、手振りや表情などでその感情を伝えてくれることもあった。人と接する際には受け身ではなく、まずこちらから相手に近づいていく必要があるのだということも、この研修で学んだことの一つである。
4日目の午後、孫との面会に来た70代の女性と話をする機会があった。お孫さんは20代の男性で、生まれたときから脳に重い障害があるのだという。その女性は、こんな話を聞かせてくれた。
息子夫婦にとっては初めての子どもで、私にとっても初孫でした。
嫁の陣痛が始まり、すぐに近所の産院へ向かいましたが、たまたまその日は出産が重なっていて、何時間も待たされることになってしまいました。嫁はやさしく、我慢強い性格なんです。
でも、待っている間にへその緒がお腹の赤ちゃんの首にからまり、酸欠状態になってしまったんです。ようやく順番が回ってきて出産をしましたが、孫の脳には重い障害が残ってしまいました。
医師からその話を聞かされた息子は、声をあげて泣きました。息子の涙はを見るのは、あの子が小学生のとき以来でした。
おそらく、園生一人一人の家族に、こうしたそれぞれの物語があるのだろう。命や人生というものについて考えさせられた5日間だった。